「う」

「死相が出てるな」

「知ってる」

 

 物騒な事を言われた自覚はあったが、ゾロはナチュラルにそれに返答した。本当にもう余命幾許も無いという気分だったからだ。もう五日間以上眠っていない。判断力が落ちていた。一気飲みした睡眠打破だかなんだか言うカフェイン飲料はさながらタールを飲み込んでいるような舌触りで、うぇ、と呻き声が漏れた。まずい。

 

 さて、不躾な一言の主は誰だろう。ゾロはコンビニの前のゴミ箱に瓶を捨てると、視線をめぐらせた。半分閉じたままの目が覚めるような金髪を捉えると、その金髪の主は楽しげにこちらを見ていた。身に纏うのはホストだと言っても通じそうな伊達な黒スーツだが、如何せん座っている椅子の前の机に乗せられているのは怪しいカードに水晶玉。所謂易者だ。

 

 これはゾロが関わってはいけない類のアレだ。その職業の存在を否定はしないが、己のような神も仏も知らぬ不信心な人間には。無神論者だとは言わない。祖父母にはお米には何人か神様が居るだとか、便所の神様がどうだとか幼い頃から教わってきたし、八百万の神ももしかしたら居るかもしれないし、くらいには思っている。だが、未来は己の行動次第であり、それを謎の力によって覗き見る力などは信じない。

 

 そのつもりはなかったが、もしかしたら胡散臭いものを見るような視線をくれてやったかもしれない。くるりと踵を返したゾロを、その声の主は呼び止めるでもなく、ただ聞かせる目的で言った。

 

「もう一度電話しろ。でないと、本当に死ぬぜ?」

「……?」

 

 もう一度、とは。ゾロは思考能力の落ちた頭で必死に考える。考える必要自体ないと思ったが、「もう一度」という言葉にどうも引っ掛かりを覚えた。どういう意味だと振り返れば男は既に姿を消している。机や椅子も、ない。くだらん、と己に言い聞かせて頭をガリガリと掻き、ウェブデザイナーのゾロが勤めるオフィスへとコンビニ袋をガサガサ言わせながら戻っていった。

 

 

 

 

 オフィスに戻ってから十数時間ぶりの食事をろくすっぽ噛まずにモニターを睨みつけながら水で流し込む。正面に座っているのは上位デザイナーのウソップだ。ゾロはあまりデザインのセンスは無いが持ち前のスタミナと根気でウソップの提出したデザインのコーディングを行っている。

 

 ウソップの顔を見て思い出した。昼ごろにクライアントに連絡を入れて、出ないとぼやいていたのだ。もう15時過ぎているが、ウソップは電話を掛け直したのだろうか。オフィスに戻ってからコンビニで買ってきたおにぎりはちっとも旨くない。産まれてこの方飯を旨いと思って食ったことがないので問題はないが、流石に飽きる。砂を噛む様な思いで詰め込みながら、半分死んだ顔でタブレットをガリガリやっているウソップに話しかける。

 

「ACE社とは繋がったか?」

「や、2時ごろも一回電話したんだけどよ。出ねェし、もう納品の時でいいや」

 

 納品は明日だ。スケジュール管理なんぞはしていない。気合で間に合わせる計算だ。デザイナーとコーダーは勿論不眠不休で動く算段で。

 

―――本当に死ぬぜ?

 

 何故か、あの唄うような低い声が頭に響く。死ぬわけには行かないし死ぬつもりも無いが、死にそうなのは確かだ。しかし、ウソップが入れたい電話と言うのは命を繋ぐ為の電話ではない。ここのページのこの画像はこれくらい縮小しないと他とバランスが悪いが、これでよろしいか、とか何とか、そんな些細な確認だけだ。納品時に文句を言われたら即座に直せるレベル。しかしゾロはそう長くは葛藤せず、オイ、とウソップに声をかけた。

 

「もう一度だけ入れてみろ、電話」

「んぁ?もういいって。メールもしたしよォ。現地でもノート持っていくからすぐ直せる……」

「いいからやれ」

「お前おれより後輩のクセに何でそんなに偉そうですか」

 

 ウェブデザイナーとして先輩であるウソップにぞんざいな口を利くと、案の定ウソップはそれに文句を垂れたが、数日寝ていない事はあまり関係ない、常から極めて目付きの悪い眼光を向けるとウソップは竦みあがって受話器を手に取った。忙しいのに、と文句を垂れているがお互い様だ。これで何も起こらなかったらあの金髪、探し出して一発殴ってやる。そんなことまで思った。

 

「……あ、もしもし。デザイン会社かざぐるまのウソップです。はい、いつもお世話に……はい」

 

 どうやら繋がったらしい。だからどうと言うわけでもあるまいが、ゾロはなんとなくウソップの言葉を耳で追う。

 

「はい……えっ!?……あー……いえ、それだと、ちょっと時間が……あ、はい。……え?……はい。」

 

 先ほどから手術中の医者だとか、床屋だとかでは絶対に聞きたくない類の感嘆符が漏れている。ウソップがどこに電話しているのか察したのか、ゾンビのようなデザイナー達の顔がモニターから離れて不安げにウソップを見つめている。その視線に気付いているのか居ないのか、受話器を肩と顔に挟んで卓上カレンダーを手に取り、また数回頷いて受話器を置いた。フロアに居る全員がウソップを見ている。勿論電話を促したゾロもだ。

 

 ふぅー……ともったいぶった溜息をついたウソップは、バーンと机を叩いて立ち上がった。ただでさえ疲労困憊のメンバーがびくんと肩を跳ねさせる。だがそれを意に介さず、ウソップは重々しく口を開いた。

 

「先方都合で内容に変更が発生した」

 

 ぶええええぇぇぇ!!!と悲鳴が上がる。ACE社は大口顧客であるが、その分わがままが多い。長い付き合いでもあるので御用聞きのような事もやっているし、今回の件も無碍には出来まい。だが、ウソップがその呻き声が消えた後に、数日振りに声を張った。

 

「で、だ!その影響で、明日もらっても検品できねェから、納品を再来週にして欲しいと要望があった!変更分は改めて見積もりを出していいとの事だし、明日納品するはずだったものに関しては予定通り入金するっつー話だから社長も怒らねェだろう!今日はもう皆定時に上がっていいぞ!」

 

 間。そして、オフィスが揺れた。声を出す気力もなかったデザイナーたちの歓喜の雄叫びだった。それで力尽きて突っ伏すものも数名。ゾロもなんとなく安堵の溜息をついた。スタミナも無尽蔵ではないし、睡眠が趣味だといってもいいゾロにとってもこれは吉報だ。

 

「ちょ、仮眠室にいるヘルメッポさんにも伝えてきます!」

「おう、あいつは起きたら早退させとけ。顔色がいつもの五割増し悪かったからな」

 

 コビーが誰に了解を得るでもなく言うので、ウソップが機嫌よく返事をした。はい!と声を上げるコビーの足元も覚束無いが、楽しげな千鳥足にも見える。

 

「内容の変更もさほどボリュームはねェし、先方都合万々歳だな!」

「今回に限ってはな」

「しかしモンキー弟め、「わりィ、伝えるの忘れてた!」だってよ!ったくアイツめ」

「そういう奴だ」

「いやしかしゾロにせっつかれなかったらヤバかったかもな、電話もう諦めかけてたし、アイツ多分メールなんか読まねェだろうし。野生の勘ってやつか?」

「いや……」

 

―――本当に死ぬぜ?

 

 ロクに顔も見なかった金髪の言葉がよみがえる。従わせるような響きはなかった。ただただ事実を伝えるだけ。明日は雨が降るぜ、そんな口調だったのだ。

 

「……まァ、そんなようなもんだ」

 

 馬鹿馬鹿しい。確かに自分も酷い顔をしていたのだろうが、死ぬなどと大袈裟な脅し文句だ。今の時代なら脅迫罪とかで訴えられるかもしれない。その気は無いがそんな事を思いながら、ゾロは缶コーヒーのプルタブを持ち上げて、飲み口に唇を押し付けた。

 

「だッ……だだだっだだだだ誰か、医者ァァァァ!救急車アァァァァ!!」

 

 ぶっ、と口に含んだコーヒーをウソップの顔に吹きかけてしまったのは、不可抗力だったと言っても許されるだろう。コビーの大声はそれくらいに切羽詰っていたし、実際その大声に見合うだけの異常事態が発生していた。仮眠室で文字通り仮眠を取っていたはずのヘルメッポが、永眠しかけていたのである。

 

 一命を取りとめたヘルメッポを診察した医師によると、過労とストレスによる重度の無呼吸症候群による窒息。あと10分通報が遅れていたら手遅れか、脳に障害が残ったかしただろうと医師は語ったそうだ。

 

 

 

 

「世にも奇妙な物語みてェだ」

 

 結局ヘルメッポの命と、ある意味会社の命をも救った事になったゾロは、ウソップに電話を強要した理由を掻い摘んで話した。ウソップは古いオムニバスドラマのタイトルを口走って身を震わせたが、ゾロはあの金髪にそういった恐怖は覚えなかった。

 

 あれからゾロは何度も同じコンビニに行ったし、同じ時間帯やそうでない時間もオフィスの窓からしきりにあの金色を探した。が、あの占い師は現れない。「当たる 金髪 占い師」なんかで検索もしてみたが、ゾロが見かけた男とは違う、オーラだの何だの言っている小太りの男ばかりが出てくる。似ているのは胡散臭さくらいだ。

 

(探してどうする)

 

 自問する。ゾロは未だに占いそのものを信じたわけではないのだ。だが、きっかけは確かにあの男だった。であればとりあえず礼を言うべきだろう。それから?験を担ぐわけでは無いが、今日もゾロは同じ時間に同じものを同じコンビニで買って店を出た。別にカフェインは必要ではなかったが、睡眠打破を一気飲みするゾロの視界の端に、ちらりと光が走った。

 

 

 

 

 

「死相が出てるな」

「……今度は誰のだ」

 

 

 

 

 きた。しかし、振り返ってはいけない気がした。またあの男が姿を消してしまうかも。しかし、また見たい。あの金髪を。ゾロは瓶を口から離すと、振り返らずに問いかける。

 

 

「てめェのだよ、マリモマン。死にたくなきゃァ、もうおれを探すな。振り返らずにそのまま帰りな」

「おれは占いなんざ信じてねェ」

「したんだろ?電話」

「おう、ありゃ助かった」

「でも信じねェのか」

「信じねェ」

 

 ふっと笑う気配がした。その笑う顔がみたい。

 

(顔見たくらいで、誰が死ぬか)

 

 救急車で運び込まれていた死にかけのヘルメッポの顔が一瞬浮かんだが、ゾロは力強く振り返った。

 

「……あーあ」

 

 呆れたように言う男は何処か苦しげな、どこか愛しげな。そんな切ない顔で笑った。その顔は、ゾロの心臓を鷲掴みにする。この間が初めての邂逅だったはずだ。それでも、それでも。

 

「……てめェ、……どっかで……?」

「あァ、あるぜ。会った事。てめェとおれには前世からの因縁があんだよ。まァ、腐れ縁ってやつ」

「前世だァ……?」

「あーあ、だ。クソマリモ。せっかく忠告してやったのに」

「おれは死なねェ」

「死ぬさ」

 

 男は、金髪は、ポケットから出した煙草を口に銜えてライターで火をつける。そんな動作も、いつか、何処かで、何度も。

 

「てめェはおれが殺すからな」

 

 ははは、と笑って物騒な事を言い放つ金髪の声は、妙に耳に馴染む。その脅し文句でさえ、不快になるよりもゾロの気分を高揚させた。自然と口角が上がる。

 

「やれるモンならやってみやがれ、クソコック」

 

 占いなんぞは信じちゃ居ないが、とりあえずゾロは自分の直感を信じてその手を金髪に向かって伸ばした。

リリース日:2010/08/28

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