「い」

「その胸の傷を生かしてさ」

 

 そのアホは、仕事中のゾロの上半身を見て開口一番にこう言った。

 

「食い終わった焼き魚でも彫って見ねェ?」

 

 

 ロロノア・ゾロは椅子職人だ。他の家具は作らない。不器用は承知の上で、だからこそ作るのは椅子だけだ。オーダーで作るその椅子の評判は年々高まっている。座る人間を一度目視して、姿勢や身長、座高、座りながら何をするのか。仕事か、娯楽か、それとも休息を求めてか――ヒアリングをしてから、素材、形、堅さを決める。デザインは得意ではないので意匠を凝らす事を求められた場合は他の家具デザイナーにデザインのみを依頼することもあるが、作り上げるのはゾロの、ゾロだけの仕事だった。

 

 クライアントの希望も聞きはするが、ゾロの腕を信じてのオーダーが多いので、この仕事を始めてそろそろ15年になる今ではそこそこ名も売れて毎日椅子作りに没頭している。なので、諧謔の言葉を投げかけてくる人の声を聞いたのは、随分と久しぶりのことだった。

 

「椅子が欲しィんだけど」

 

 軽薄そうな男だった。真夏の暑さの中で木材にカンナ掛けをする上半身裸のゾロの作業場に現れた男は、冒頭の「焼き魚」発言にゾロが「あぁ?」とドスの効いた声を発したのを聞こえても居ないみたいに口元に飄々とした笑みを貼り付けてゾロに仕事を依頼する。ゾロのように肉体を動かしていないからといっても随分涼しげな男だった。汗の一つもかいておらず、色は白い。日焼けを知らぬような肌が着崩されたシャツの襟元から覗く。

 

「安かねェぞ」

 

 見れば男は随分と若い。椅子の価格なんて物はピンキリ、量販店で変えるくらいのプラスチック製のものをキリとするならば、ゾロにオーダーで作らせるものはピンだ。サイズや材質にもよるが、それにしたって既製品と比べれば若造が酔狂で払うには高いものになろう。

 

「そうなのか?100万くらい?」

「モノによる」

 

 奇怪な形の眉を困ったように落とすその男が出した値は、小学生の「大金」の代名詞のようなもので男のガキっぽさを如実に現しているように思えたが、次の言葉でどうやら男にとってはそこそこ現実的な値だったらしい事を知る。

 

「ニコニコ現金払いが信条って聞いてたから、80万くらいありゃ足りると思って引っつかんで来たんだけどな。出直そうか」

「……支払いはオーダーを受けて見積もりを出してからだ。今はいい」

 

 振り返ってゾロに背を向けた痩身の男はチャラ、と金属の触れ合う音を立てた。ベルトホールに引っ掛けられたその鎖の先に繋がる尻ポケットから覗く黒い長財布が小さな尻を強調するように膨らんでいる。おそらく男が言った分の紙幣が入っているのだろう厚みがある。

 

「へえ。じゃあ見積もってくれよ」

「どんな椅子だ」

 

 振り返る男の尻。黒いボトムを纏う長い足。サンダルを引っ掛けた素足、骨のくっきり浮いたくるぶし、無駄な肉の一切ついていない腱。その身体を、ゾロの作る椅子が、支える。

 

――仕事をする目にゃ見えなかったな。

 

 鋭い眼光を己の肢体に向けるゾロを後に評した客の名は、サンジといった。彫り士だと。その男のオーダーは、

 

「おれに合う、おれだけの椅子が欲しい」

 

 酷く甘いセックスの誘いのように、ゾロには聞こえた。

リリース日:2010/08/21

戻る