マリモと月

「頼む、ゾロ!!このとーりっ!!」

「……ッたく……しつけェ奴だな……」

 

 大学の学生食堂で豚しょうが焼き定食にうどん(大)をつけてもりもりと食べていたゾロの隣で食事もせずに椅子の上に正座をして土下座をしているのは、大学の中で一番ゾロと仲良くしてくれているといっても過言ではない友人、ウソップであった。長い鼻が椅子に当たってくんにゃりと曲がっているのがなんとも愉快だ。

 

「三泊四日だけなんだ、頼むよゾロぉ」

「だから。確かに寝る場所はあるにはあるが、おれァ日本語以外できねェって言ってんだろ?他あたれよ」

 

 ウソップがかねてよりしつこくゾロに頼み込んでいるのは、海外からの来訪者への寝床提供であった。実はウソップがバックパッカーとして海外を放浪していたときにイタリアで世話になったレストランの息子がおり、一度日本に来て日本食に触れてみたいという願いをウソップが聞き入れ、始めはウソップが一から十まで世話をしてやる予定だった。だが、ウソップには非がないのだが、それが不可能になったのだ。ウソップの恋人カヤの具合が芳しくない。

 

 カヤは現役医学生であるものの自分自身が医者の世話になることも多い病弱な美少女であった。最近は季節の変わり目ということもあって体調を崩し、念のために検査入院をしているのだ。ウソップは友人であるレストランの息子は勿論大事だが、カヤが心配だと言う。ウソップの気持ちは勿論判るが、さりとてそのイタリア男をゾロが引き受けてやる道理も無い。ただの男だったらまだ良かったが、言葉も通じないのでは気が乗らなくて当然だ。

 

 だが、ウソップは「鼻、否、口から生まれてきた」と評されるだけあって、ゾロ懐柔策を用意してきたらしい。にやりとたらこっぽい唇が笑っている。

 

「お前、そのメシ今日初めての飯だろ。朝飯も昼飯も食わずに」

「……だからなんだ?」

「聞いてるぜ、ご両親が海外に行ってるって」

 

 そうなのだ。ゾロの父親は世界一とも評される剣士で、この間なにかの催しに招待されて母と揃って海外遠征中。実家暮らしのゾロにとってそれは悠々自適な生活の始まりであるとともに、自分で食べるものを用意しなければならない日々の始まりであった。ゾロがとった作戦は、「学食で一日分まかなう」というごく単純な作戦であったが、父に似てか日夜剣道に明け暮れているゾロにとってその作戦は早くも破綻しようとしていた。夜は腹が減って眠れないし、朝は腹が減って目が覚める。ゾロはここの所生まれてこの方縁のなかった寝不足というものに苛まれていた。

 

「……だから?」

「言ったろ、来るのはレストランのコックだぜ?もちろん、住居提供の見返りに、飯を作ってやってくれっていうのはもう頼んである」

「……てめェ」

「わわわ悪くねェ話だろうが!ちょっと布団敷いてやればいいだけなんだぞ、後は適当に自分で見てまわるって言ってたし!いや、おれが一緒にいられれば寺とかそういうのも興味がある風だったから案内してやりたかったけど……ゾロにそこまでは求めてねェよ。目的地に着く前にあいつが疲れちまう」

「そんな軟弱な奴なのか」

「お前が最短距離で目的地に辿りつかねェからだよ!」

 

 頼まれている側だと言うのに何故怒鳴られているのだろう。意味が解らん。そんな風に考えながら出された時点で伸びているうどんを啜る。不味い。不味いが膨れているので腹にはたまる。

 

「イタリア人だからなァ。そりゃ、ピッツァとかパスタとか作らせたら絶品だぞ~?」

「……おれは」

「おうおう、和食派だってんだろ?でも、最初に言った通りたかが三泊四日。その間に多少パスタが続いたってどうって事ねェだろ」

 

 そうだった。和食だなんだ文句を言った所で、自分が口に詰め込んでいる物は何となくダシとかしょうゆとかの味がするだけの代物だ。本物のコックが作るイタ飯が食べられると思えば食事をしている最中なのに腹が減ってくるような気がした。自分は寝所を提供するだけ。であれば、まあ、悪くない話なのかもしれない。ゾロはウソップの目論見どおり丸め込まれていた。

 

「……で、そいつはいつくるんだ」

「さすがゾロ!!飛行機の便は明日だ。到着が21時過ぎだからよ、迎えに行ってやってくれ。到着までは待っていてやれねェが空港まではおれが車で送ってやるし、家までのタクシー代もおれが出す!」

「……太っ腹じゃねェか」

「ホンットーに世話になったんだ、そいつには。このドタキャンも含めてホント頭があがらねェ。だから、言葉がわからなくてもいいし、お前が無理する必要はねェけどよ、出来るだけよくしてやってくんねェか?せっかくイタリアから日本まで来るんだし」

「わーったよ」

 

 何しろゾロだってウソップには宿題をみせてもらったり代弁を頼んだり迷子になった大学構内での救出等かなり色々助けられている。それを一切この頼みごとに対して引き合いに出してこないウソップという男はかなり人がいいと思う。そのウソップの信用問題とあらば、一肌くらいは脱いでやっていいかという気持ちにもなろうかというものだ。もっとも、食事に対して困窮しているいま、プロの作るイタ飯というものにぐっと来たのもあったが。

 

 

 かくして、ゾロはウソップに送られて空港でイタリア人の到着を待っていた。ウソップがスケッチブックに書いた名前は、SANJI。イタリア人ぽくはないが、もしかしたら日系だったりするのだろうか。薄らボンヤリと到着出口でスケッチブックを持って待っていたら、ぞろぞろとスーツケースを持った日本人や外国人が一方通行の自動ドアから流れてくる。

 

 こんなスケッチブックを持たされただけあって、ゾロはサンジという名前しか聞かされていない。が、流れてくる人の中で一際目立つ金髪が居た。他にも金髪は居るが、歩くたびにさらさらと揺れて、長時間の旅で少しくたびれた様子の毛先はあちこちにピヨピヨと跳ねている。眉毛は愉快な感じに巻いており、物珍しげに空港を眺める目は青空か海か。思わずその男に注視していたら、その視線がゾロの持っているスケッチブックに止まった。

 

 にこ、と笑って男がでかいスーツケースを引っ張って近づいてくる。

 

「Piacere! Sanji.」

 

 何となくはじめましてとかヨロシクっぽい事と、自分の名前を名乗っているのだろう、と察するが、ここは日本国である。ゾロは一切イタリア語を口にする気もなく、適当に頷いた。

 

「ロロノア・ゾロだ。どうも」

 

 ウソップはバックパッカーをしていただけあってイタリア語もそこそこ話せるのだが、ちゃんと「ゾロはイタリア語はわからない」と伝えておいてくれていると聞いている。純度100%の日本語で返事をしてきたゾロに対して特に表情を変えることもなく、ゾロの顔をじっと見て、再び薄い唇を開く。

 

「マリモ!」

「アァッ!?」

 

 ウソップめ何を教えやがった!!途端に凶悪面になるゾロに驚いた様子も見せずにニヤニヤと笑っている男は、どうやら自分が何を言っているか自覚があるようだ。いい度胸だと黒いオーラを背負いながら胸倉を掴む。

 

「てめェ、それが世話になる相手に対する態度だと思ってんのかアァ?」

「Pezzo di Merda!」

「日本語喋れここぁ日本だゴルァ!!」

 

 サンジはサンジでイタリア語でギャンギャンわめいている。殴ったり蹴られたりして、これがまたなかなかいい蹴りで、少しばかり本気になりかけた時に警備員が小走りにこちらへ寄ってきていた。サンジもそれに気付いたらしく、途端に親しげにゾロの肩に手をまわしてバンバンと叩き、何事も無い風を装って、たぶん「じゃあいこうか」みたいなことを言ってゾロにトランクを持たせさっさと歩き出してしまった。警備員はまだ怪訝な顔で見ているが、別室へ呼び出されたいわけではない。ゾロは、三日間の辛抱だ、と己を戒め直すと、トランクを雑に引きずって空港を後にした。

 

 ゾロの家は道場で、母屋も広い純和風家屋である。さっさと客間に布団を敷いて寝巻きの浴衣を用意してやると、最初は何もかも初めて目にする衣服や布団に俄然テンションを上げてワオワオ言っていたサンジだったが、見た目以上に繊細な男だったらしい。どうやら長時間のフライトであまり眠っていなかったらしく、時差ぼけも何のその、日付が変わる前にスイッチが切れたように布団にコテンと落ちた。

 

 初対面から気に食わない野郎であったが、寝顔は案外幼いものだ。日本人は童顔で欧米人は老けて見えるというが、サンジとゾロにいたってはその関係性が見事に逆転していると思った。面白くも無いはずの野郎の寝顔を何故かしばらく眺めてしまってからふと我に返り、客間の電気を消して自分も寝る事にした。明日も早いのだ。

 

 

 

 やはり空腹で目を覚ましたゾロは、あのイタリア人が気になって普段より10分も早くごそごそと寝床から這い出た。欠伸をしながら背伸びをしながら腹を掻きながら廊下を歩くという複数の動作を一度にこなしつつふすまの隙間から客間を覗き込もうとしたが、人の気配がそもそもない。ふすまを開けると、布団は綺麗に敷いたままの状態になっていた。多分ベッドメイクみたいな事をしたのだろう。浴衣も歪であるが努力の跡が見られるたたみかたをされていた。

 

 さてどこに行った、と浴衣の腹に手を突っ込んだまま再び廊下にでると、なにやら台所の方でごそごそと音がする。ぺたぺたと裸足の足でそこへと向かうと、サンジが料理をしていた。どうにもイタリア料理を作っているようには見えない。味噌汁とか、卵焼きとか、そのようなものが見える。

 

「Buon giorno, Marimo.」

 

 おお、本物の「ボンジョルノ」だ。そんな風に思いながらも、ゾロは合えて日本語で「おはようさん」と返す。なんだかマリモと呼ばれた気もするがそれは無視する。ゾロの名前を「マリオ」だと思っているのかと考えもしたが、他の日本語のにの字も口にしないくせにしっかりと「マリモ」と発音してくるあたり小憎たらしい。加えてサンジは冷蔵庫を指差してなにやらごにゃごにゃ言っているが、たぶん「勝手に開けたぞ」とか「使ったぞ」とかそんな事だろう。好きにしろという意図を混めて頷いてやると、満足げにサンジは調理を再開する。椅子に座ってしばらく待っていたら、白いご飯、卵焼き、ほうれん草のおひたし、味噌汁、サラダが出てきた。

 

「へえ。和食っぽいものも作れるんだな」

 

 意味がわからなくても感心した様子が伝わればいいと出来るだけそのように感情を混めて言ってやると、サンジはいままでの印象とは少し違う困ったような笑い方をした。もしかしたらゾロに気を使って和食にチャレンジしては見たが、初めてのことなのかもしれない。その証拠というべきか、味噌汁にトマトが入っている。卵焼きも良く見れば何か緑色のハーブっぽいものが入っていた。少なくとも小口切りにした葱ではない。ぱっと見が和食なだけになかなか斬新である。

 

 ゾロはそれでも両手を合わせいただきます、とお辞儀をした。サンジも何故かつられて掌に拳を当ててぺこりとやる。それは違う。言ってやりたかったが腹が減っていたのでとりあえずそのトマト味噌汁を啜った。

 

―――味噌汁じゃねえな。

 

 トマトからダシっぽいものが出ているし、味噌汁ではないと思えば旨いスープだった。脳が味噌汁だと思っているので多少混乱したが、納得してみれば胃は喜んだ。卵焼きも卵焼きの形状を取ってはいるが、オムレツだと思えば完璧なタマゴ料理だ。たまねぎも入っている。ほうれん草のおひたしだと思って居た物は、果たしてほうれん草ではあったがくたくたに煮てにんにくとかの味がついたものだった。また脳がびっくりしたがご飯はすすむ。米の焚き方は完璧だった。炊飯器ではなく鍋で炊いたらしい。

 

「E di Suo gusto?」

 

 不安で一杯、みたいな顔でサンジが何かを聞いてきた。たぶん不味くないかとか食えるかとか、そんな事を聞いているんだろうと本能的に思った。多分サンジが持っていたのは見た目だけの知識だ。それだけでレシピなしでここまで近づけるのは純粋にすごいと思ったし、何よりこれらは和食ではないものの食事として純粋にうまかった。イタリア語で「うまい」が「ボーノ」である事くらいは知っていたが、そう言ってやるのは少し恥かしかったので、黙って頷いて、その証拠とばかりに勢いよく平らげた。

 

「ごっそさん」

 

 手を合わせると、やはりサンジは掌にこぶしをあわせてぺこりとやる。だからそれは違う。言ってやりたかったが、やはり言葉が出てこなかった。

 

 

 

 適当にどっか見てくるって言ってた、とウソップの談の通り、サンジは何かを言い残して身軽な格好で出て行った。ゾロも隣の道場へ向かう。斬新なものであったとは言えしっかりと朝食を取った後の稽古は身が入り、やはり食事は大事だとゾロはしみじみと感じながら母屋へ戻った。大学から自宅までは近いし、サンジがいつ帰ってくるかわからないので授業があるとき以外はなるべく家にいようと思ったのだ。

 

 案の定昼には帰って来たサンジは、生のレモンを使って冷たいレモネードを作って出してくれた。輪切りにされたレモンがぷかぷかと浮いていて、それもかじるとほんのり蜂蜜の味がするのが泣かせる。疲れた身体に染み渡るようだった。

 

 見た目だけで和食に挑戦するのは懲りたのか一時休戦か、サンジは朝とは数段違うテキパキとした動きでスパゲティを茹でたりごちゃごちゃとキッチンでやっていた。ごちゃごちゃ、と言う風にゾロの目からしてみれば見えるのに、母親が使っているときより整理整頓されて見えるのは何故だろう。調理から洗い物までが同時進行だからそう見えるのかもしれない。

 

 出てきたのは、トマトソースのスパゲティだった。トマト好きだなこいつ、と思いつつゾロも嫌いではないので再びそれを口に運ぶと、これがとんでもなくうまいのだ。本当に、ただのトマトソースに見える。具なんか殆ど入っていないようなのに、口中にうまみと適度な酸味と、ぱらっとかかったチーズのコクが咥内に唾液を溢れさせる。パスタの茹で具合もちょうど良く、歯切れのいいプリン、ツルン、プチッ、としたスパゲティになっている。米の飯じゃなきゃあ、なんて思っていたのが嘘だったかのような勢いでがつがつと食べ進めるゾロが、おかわりはあるだろうかと顔を上げると、朝のおっかなびっくりといった顔と違って自信満々の顔をしているサンジが目に入った。

 

「Buono?」

 

 うめェだろ、なんて顔。ああ、うまいうまい。もうメシに関してはおれの負けだ、と。ゾロは目を閉じてふっと笑った。

 

「うまいな」

 

 ディモールト・ボーノとか言ってやればよかったのかもしれないが、それはそれで癪だった。だが、サンジには通じたらしい。ふと目を開けると、そこにはいかにも「太陽と情熱の国」から来た人みたいなぱぁぁっ、と明るい顔で笑っているサンジが居た。ああ、もう、こいつはどれだけ表情にバリエーションがあるのだろう、とゾロは全部それを見てやりたい気分になる。おかわりを盛ってもらいながら、そんな事を考えている自分に気付いて、何だそりゃ、とサンジが鍋に向き直った瞬間を見計らって頭を振った。

 

 

 

 腹がくちくなってから気が付いたが、サンジは外出している間近所のスーパーに行っていただけだった。もちろん来日の目的は日本の食文化に触れることなのでスーパーはもってこいの場所だろうが、三泊しかいないのにそれではあまりにあまりだ。ゾロはその日一コマだけある授業をサボり、サンジを外へ連れ出した。観光の世話をしてやるつもり等はじめはなかったのだが、飯の恩もあるし、夜だって、明日の朝だってまたその恩恵にあずかりたい。

 

 とは言え、ネズミのテーマパークだのなんだの、そんなところには行くには時間が遅すぎるし、何よりすんなりたどり着けるかどうかの自信もなかったので、連れて行けたのは近所の寺くらいだった。結構有名な寺で外国人も多く、参拝のお作法やご利益等々、英語や韓国語なんかで書かれたパンフレットが用意してあるのだ。出店も常に出ているし、ゾロにとってはあまりにも近すぎて普段来る事がない場所だったが、サンジのテンションは目に見えて上がった。

 

 木刀を見ては大はしゃぎ。ニンジャがどうだと言っているのだけはわかった。賽銭を投げるだけでも賽銭箱に背を向けて投げなくてもいいのかとかジェスチャーで聞いてきたり。多分ジョークなのだろう。ここはトレビの泉じゃねェ、と笑ってツッコミを入れて正面を向かせてやると、渡してやった五円玉を放りまた楽しげにカランカランと鐘を鳴らす。鳴らし過ぎだ。

 

 常香炉の説明も英語で読んで「当てると悪いところが良くなる」と言うのを理解したらしく、しきりにゾロの頭へと煙を追いやってくる。ヤメロ、とやり返してやると今度は股間に向けて煙を追いやってきた。殴った。その他にも飾ってある鎧を着てみたいだの無茶振りをしてくるわ、ポン菓子だの麩菓子だの説明に困るものに興味を示して、イタリア語はもとより日本語でもうまく説明できないゾロを心底馬鹿にするように鼻から煙草の煙を吐いてきたりするので、この野郎、と本気でない喧嘩を何度もした。

 

 鎧は試着が出来なかったので、代わりに二人で裃の上下をレンタルして写真まで取った。金髪で色白の痩躯のサンジにもそこそこに似合っては居たが、やはり剣道で着慣れたゾロは堂々としたものだった。

 

「サメライ!サメライ!!」

「サムライ、だろ。イタ公」

 

 発音を正してやってもサンジはテンションMAXで顔を赤くして喜んでいたので、まあいいか、とゾロも楽しくなって笑った。値の張る記念写真だったが、サンジにそれを渡してやると胸に抱いてとても大事そうに受け取ったので、ゾロもなんだか気恥ずかしさを忘れて「ちゃんともって帰れよ」なんて言った。手持ちがあれば自分の分も買えばよかったとまで思った。

 

 帰ってもサンジのテンションは高いままで、夕食は「日本人が作る和食を食わせてやろう」と店屋物を取った。父親のミホークが贔屓にしている店の天丼にはサンジも喜んでくれたし、そんなサンジと言葉のやり取りはままならないながらも笑いあって食べるそれはうまかった。なんだかノリで風呂まで一緒に入り、客間に敷いていた布団をゾロの部屋に移して、サンジが出店で買った木刀を白刃取りなんかしてみせたり、踵落としをやすやすと決めるサンジの体の柔らかさに驚いたり、普段はあまり見ないテレビのバラエティ番組に腹を抱えて笑ったり、二人で夜中まではしゃいだ。また喧嘩もした。

 

 散々騒いで、そろそろ寝なければとカーテンを閉めようとしたゾロは窓を開けて夜空を見上げる。まん丸とした月が夜空に浮かんでいて、満月かと思って父親が企業から貰ってきたカレンダーを見ると今まで気にした事もなかった月齢が目に留まった。

 

「明日は満月だな」

「La luna piena.」

「あー……月だ。解るか?アレ。月」

「……ツー、キ?」

 

 驚いた。「マリモ」だの「ニンジャ」「サムライ」だの自分が知ってる日本語以外は発そうとしなかったサンジが、ゾロの音をまねて難しそうに口を開いたのだ。なんだかグワッと、頭を撫でてやりたい様な気持ちになってしまい、いやいや、と思いなおしていたはずなのにゾロの手はそのゾロの意思に反してサンジの金髪を撫で回していた。

 

 やばい、蹴られる。そう思ったが、サンジはなでられた頭を両手で抑え、なんだかもごもご言っている。

 

「あー、アレだな。アホなてめェがこっち来て初めて言えた日本語だ。覚えて帰れ」

「ツキ」

「おう、月だ。てめェのキンキラの頭みてぇな月だ」

 

 懐かなかった犬に初めてお手をされたようなむず痒いような気持ちで思わず笑うと、サンジも頭から手を離してえへらと蕩けそうな笑顔を浮かべていた。

 

「Buona notte, Marimo」

「おう、おやすみイタ公」

 

 おやすみのあいさつをした後も、布団からこっそり出した足で蹴られたり蹴り返したりしながら、ゾロは表情筋が筋肉痛になるんじゃないだろうかと思いながらようやく寝落ちたサンジとほぼ同時に眠りに落ちたのだった。

 

 

 

 

 三日目の朝に出てきた食事は、なんと完璧な和食であった。ゾロが寝ている間にどうやら母親の使っている料理本を見て辞書を引き引き作ったらしい。写真が沢山ある初心者向けの本は解りやすかったらしいがそれにしたってすごいものだ。素直にこの男はプロのコックだなと感嘆した。昨日の天丼なんかよりよっぽどうまいような気さえした。

 

「今日は流石にサボれねェからな、てめェも一人でどっか行くのはいいが―――」

「?」

「……あー……一緒に来るか?大学。授業は1時間で終わるしよ、その後どっかいってもいいし」

 

 流石にゾロの説明は細かくは伝わらなかったようだが、大学に向かうゾロが一瞬だけサンジの腕を引くと、サンジは素直についてきた。外国人は絶対数で言えば少ないが、留学生がいないわけではないので怪しまれる事も無いだろうとカフェに座らせる。オープンカフェがつくづく絵になる男だ。

 

「一時間で戻るから、ここにいろ。いいな?」

「Si.」

 

 一時間、ここ、いいな。その言葉それぞれにジェスチャーをつけてやると、サンジはこくりと素直に頷いた。通じたかどうかは解らないが、大学に来て、普段使わないカフェを探して随分時間を使ってしまった―――人によってはそれを迷ったというらしい―――ので、ゾロはよし、とサンジの頭を昨日の夜したようにぽんと叩いて駆け出した。サンジはそれを不服に思ったのかゾロの背中に向けてギャースカわめいていたが、振り返っている暇はなかった。

 

「ゾロ!どうだ?サンジは」

「あァ、何とかやってる。そっちこそどうなんだよ、嬢さんの具合は」

「おう、ありがとな。大分いいよ。でな、おれもサンジに一度くらい会っときたいし、今夜飲みに出れねェか?」

 

 講義に向かう途中で同じ授業を取っているウソップに話しかけられ、ゾロはそちらに顔を向けた。今夜特に予定があるというわけでもなければ、サンジはもともとウソップの知り合いだ。それに、居酒屋の日本食に触れればまたあの陽気なイタリア男は喜ぶだろう。そう考えて頷くと、ウソップは楽しげに鼻の頭を掻いて長い鼻をぴよんと揺らすと大袈裟に頷いた。

 

「じゃあ、夜にな!」

 

 そしてその夜。久々に再会を果たしたサンジとウソップはギャーギャーいいながら抱き合ったりヘッドロックをかけたりかけられたりしながらゾロの解らない言葉でひたすら楽しげに会話をしていた。恐らくウソップのバックパッカー時代の話で盛り上がっているのだろう。そこでゾロは初めて気が付いたのだが、サンジはものすごく喋る。ゾロといるときもなんやかんやで煩いのは煩いのだが、短い言葉を投げつけてくる事の方がずっと多かった。が、言葉の通じるウソップと会話できるのが嬉しいのか、とにかく延々と喋っている。すらすらと言葉がとめどなく溢れている、立て板に水とはこのことかとゾロは何とはなしに思った。

 

 もしかしたら、サンジはサンジなりにゾロに伝わればいいと、簡単な単語を選んで話しかけていたのかもしれない。それを自分はボーノとかグラッチェとか、ある程度知っているイタリア語でも話しもせずに頑なに日本語を使い続けていた。少し悪いような気持ちになって、今日の「おやすみ」くらいはイタリア語で言ってやろうかと考えていたそのときだった。

 

「こんばんは、ウソップ!ゾロもいるんだ。あと、見ない顔ね。留学生?」

 

 やってきたのはナミだった。ウソップとゾロの共通の知り合いであるが、ゾロにとっては守銭奴というイメージしかない女である。類まれな美貌を生かして美人局なんかもやっていると噂に聞く事もあるが、こいつだったらやりかねんと思っている。割と腹の黒い、ゾロにとっては少し苦手な部類に入る女だった。おう、と飲んでいた焼酎のコップを持ち上げて適当にあいさつとする。

 

「おお、ナミ!こいつはサンジだ、前に話した事なかったか?」

「Piacere signorina! Sanji.」

 

 サンジはそれはそれは美しいナミにそれはもう甘い声であいさつをした。シニョリーナとか言って手を差し出している。はじめましてっぽい挨拶はゾロも聞いた気がするが、なんだか違う言葉のようにも聞こえた。そういえばこいつは典型的とまでは言わないがまごうかたなきラテン男である。綺麗な女は大好きだろう。ナミもサンジに興味を持ったのか、サンジの隣に座って握手をした。

 

「Piacere mio, Mi chiamo Nami.」

 

 ギョッとしてナミを見ると、ウソップが隣から補足してくれる。ナミは経済学科の主席で、ヨーロッパ経済も勉強しているのでその流れで主要な語学の簡単な会話は出来るらしい。その流暢な発音にサンジは嬉しそうにぺらぺらと何か話していて、ナミも時折聞き返したりはしているがここ数日一緒にいたゾロとサンジの会話を上回る情報をあっという間に交換したようだ。なんだか面白くない。

 

 なんだか面白く無いが、酒は好きだしもともと無口な性質だ。多少の疎外感はたまにウソップが話しかけてくるので紛らわせつつ、陽気なイタリア人どもの会話を右から左に聞き流していたらば、サンジとナミの会話の中に日本語が混じっているのを耳が聞き取った。

 

「キレイ?」

「Si, キレイ. Come e' bella la luna」

 

 ナミがサンジに日本語を教えているらしい。キレイ、キレイ、とサンジは何度も嬉しそうに連呼している。恐らくナミの美しさを賛美するに当たり日本語ではどういえばいいのかとか聞いたのだろう。酒も入っているのだろう、白い頬を赤くしてキャッキャはしゃいでいるサンジを見るとなんだか本当に胃の中がむかむかした。女好きのイタリア人で、女好きのサンジだ。女を褒める言葉はそりゃすぐ覚えるだろう。おやすみくらいはイタリア語で、なんて考えいてた自分が何となく馬鹿馬鹿しくなって、ゾロは手元に残っていた酒を呷って飲み干した。

 

 

 

 

 夜の帰り道。天気が良く、ゾロが暦で見た通り見事な満月だった。星一つ見当たらない。夜空をぽっかり丸く切り取ったような月は、隣を歩く男に似ているようでなんだかむかむかした胃の感覚が思い出される。へらへらと楽しげに歩いていたサンジはそんなゾロの様子には気付かずにマヌケな顔で口を開けて月を見ながら歩いている。

 

(仲間はずれがムカつきました、ってか?ガキじゃねェんだ……)

 

 この男は明日イタリアへ帰るのだ。自分の生活ももとにもどる。短い期間で友人と交流できて喜んでいるサンジに一切非などない。煮え切らない思いを抱えて歩いていると、サンジがひょいと俯き加減に歩いていたゾロの顔を覗き込んできた。慌てて距離をとる。

 

「な、なんだよ」

「ゾロ」

「んぁ?」

 

 いつも流暢な発音で「マリモ」と自分を呼んでいたはずのサンジが、ゾロの名前を初めて呼んだ。おかげで変な声が出たが、サンジはくいくいとゾロのシャツの袖を引いて空を指差している。

 

「ゾロ、ツキ、……ツーキ。」

「月?満月だな」

「Si. ツキ」

「月がどうした?」

 

 ゾロが教えた言葉だ。ささくれていた心がなんだかふわりと温かいもので包まれたような気持ちになる。思いの他優しい声になっている自分の返事に驚きながらも、サンジは続けた。いつものおどけた表情と違い少し真面目な顔だった。

 

「キレイ」

「……あー」

 

 今度はナミに教わった言葉。途端にまた何処か痛いような気分になって、それを誤魔化す為に吐き捨てるように笑う。

 

「まァ……二日や三日じゃ覚えられんのもそんくらいだろうな。てめェはホント女ばっかだな!何のために日本に来たんだ、ったく」

 

 どうせサンジには解らないような事を言ってやると、ゾロの顔を見てサンジは困ったような顔をしていた。もう一度「ツキキレイ」と繰り返している。通じていないと思っているのかもしれない。

 

「あー、解った、わかったって。通じてる」

 

 言わなくたって月が綺麗な事くらいわかってる。もういい、と投げやりに答えるとサンジにもそれが通じたのかそれ以降サンジは黙ってしまった。歩調も目に見えて落ちている。待ってやるつもりはなかったのだが、徐々に開く距離にゾロは仕方なく振り返った。足が止まる。サンジの愉快に巻いた眉尻がきゅうと下がっていた。なんだか痛いみたいな顔をして、それでも口元は笑っていた。

 

「Scusami」

「……おれァ日本語以外わかんねーっつってんだろ、イタ公」

 

 いろんな顔を見てやりたいと思ったはずなのにその顔は見ていられなくて、隣に並び直してぽんと頭を叩いた。サンジは指が長くて白い手を持ち上げてゾロの撫でた頭を自分で摩ると、へへ、と小さく笑って前を見て歩き出した。指先にはさらりとした金髪の感触だけが残っている。何かを溜め込んだような顔をした横顔は、それでも凛としていて、月なんかより綺麗だと、そんな事を、思ったりした。きっとしこたま飲んだ安酒のせいだ。

 

 その夜も、同じ部屋で寝た。ただ、昨日の夜みたいにはしゃいでまわる事もなく、電気を消すまでニコニコしていたサンジが電気が消えた瞬間にふっと表情を消すのが見えた。サンジは身じろぎをして隣で眠るゾロを一度だけ見て、なんだか眉を寄せて深呼吸をすると、ゾロに背を向けて胎児のように丸くなって眠った。ゾロはその金色の頭をしばらく見つめていた。一度くらいこちらをまた向かないかなと思ったが、結局ゾロが眠りに落ちるまでサンジはゾロのほうを向かなかった。

 

 

 

「Marimo. Grazie. Addio.」

 

 あっさりとそう言ってサンジはイタリアへと帰って行った。ゾロにだってグラッツェとアディオくらい解る。ありがとう、さようなら。だ。マリモ呼ばわりは無視する。木刀はスーツケースに無理やり入れていって、写真はひしゃげないようにと手持ちの鞄へ入れていた。来たときよりもさらに大荷物になったのは、空港による前に買ったかつおぶしとかこんぶとか、あちらであまり手に入らない食材を買って行ったからだ。

 

 サンジがいなくなって元通りの生活になるかと思っていたゾロだったが、事はそう簡単ではなかった。サンジが使った客用布団をいつまでも片付けられない。トマトパスタが食べたくなってイタ飯屋に入ってもぜんぜんおいしく感じられない。月を見ると、なんだか胸が苦しくなる。イタリアがいま何時だろうと時計を見るたびに考えてしまう。重症だった。

 

 しかしながら切なさで腹は膨れない。以前どおり学食でカロリーを摂取するだけの目的でカツ丼を食べていたゾロに、ウソップがラーメンの乗ったトレイをもって近づいてきた。

 

「ゾロ、この間はありがとうな!空港までサンジ送ってくれたのも助かったぜ」

「いや、おれはついて行っただけだ。あいつ普通に道解ってた」

 

 空港って電車でいけたのか。そんな事を思ったゾロだったが、勿論そのときも今もそれを口にする必要はない。ウソップは、そっかー、等といいながらふうふうとラーメンを食べている。

 

「なんか言ってたか?サンジ」

「いや?あっさりしたモンだったぜ。グラッチェとかアディオって言ってたぞ、多分てめェにも礼が言いたかっただろうな」

「Addioって言ったのか?あいつもう日本こねェつもりなのかな……」

「あん?」

 

 ウソップはラーメンを啜る手を止めて、がらの悪い声をあげたゾロに、いや、と前おいて続けた。

 

「アディオってもう二度と会わねェとかさ、結構強い「サヨナラ」なんだ。Arrivederciだったらよく使うんだが。おれが日本に帰るときだってAddioなんて言わなかった」

「……そうなのか」

 

 アリーヴェデルチなら聞いた事がある。サンジがそう言ったならわかるはずだ。だが、サンジは間違いなくアディオと言った。考えすぎかな、などと少し心配そうな顔をするウソップに、ゾロは内心自分のせいだろうかと分厚すぎて胃にもたれそうなカツの衣を咀嚼しながら考える。あの日はケンカというケンカだってしなかった。ケンカならその前日の寺へ行った日の方が沢山した。沢山蹴られたし同じくらい殴った。だが、その翌日の方がサンジは痛いみたいな顔をしていた。ゾロの苛立ちが伝わったからかもしれないと今になって思う。

 

「なァ」

「ん?」

「すくうざみって何だ?」

「何だそりゃ。おれの方が知りたいぞ」

 

 イタ公が言ってたんだよ、と苛立ち混じりに言うと、ああ、イタリア語、とウソップはチャーシュウを一口齧ってから水で流し込みつつ、うーん、と首をかしげる。

 

「Scusami?」

「それだ」

「ごめん、って意味だ」

「ハァ?」

 

 月を見て、一緒に帰って、何故ごめん、だ。ゾロの混乱は極まった。確実に「アディオ」はこの辺の出来事のせいだといかな鈍いゾロでもわかる。だが理由がわからない。ゾロがつっけんどんだった事なんてそれ以前にも何度だってあったはずだ。

 

「あれ、サンジ君は?」

 

 ぐるぐると混乱していたゾロと怪訝そうな顔をしてラーメンの汁を啜っているウソップの元に、諸悪の根源―――勿論ゾロの逆恨みだ―――、ナミがやってきた。あれだけ話をしていたのにサンジが数日で帰ることは聞いていなかったのかと半眼になる。

 

「あいつ三泊しかしない予定だったんだ」

「あらそうだったの?私イタリア語は弱いからネイティブともうちょっと話したかったな。また来るの?」

「いやどうだろ……なんにしろ、あいつのうちレストランだし爺さんが足悪いんだ。頻繁には来られねェと思うぜ?」

 

 アディオ発言の事はわざわざ言う事も無いと判断してウソップがそう言うと、ふうん、とナミも理解を示した。カツ丼がますます不味い。ようよう食べ終わって茶を啜っていると、まァ、とこちらもラーメンを食べ終えたウソップがゾロに向かって楽しげに言う。

 

「いい奴だったろ?」

「……あァ」

「ゾロもつまんないでしょ、あの子ゾロにかなり懐いてたじゃない」

「はぁ?懐いてたァ?」

「あー、懐いてた確かに!居酒屋でゾロの話ばっかしてたもんな。寺、連れてってやったんだろ?」

 

 ゾロは二人に寺の話など一切していない。最後の夜の居酒屋での会話は一切理解できなかったのだから会話に参加出来なくて当然だ。それなのに二人は次々に「記念写真」の話とか、「頭が良くなる煙」の話とかを楽しそうに蒸し返している。どこまで話しているのだ、というかゾロ本人をそっちのけでそんな話をしていたのか。なんだか尻がむずむずしてきた。

 

「そんなにすぐ帰っちゃったなら、教えた愛の告白の言葉も使う暇なかったんじゃない?」

「いやー、あいつは根っからのイタリア男だぜ?イタリアで日本人の女見つけたら即座に使うんじゃねェか?」

「あはは、そうかも!」

 

 何、とゾロは目を剥いた。ゾロが聞き取れたのは「キレイ」だけだ。確かに褒め言葉ではあるが愛の言葉ではあるまい。変な顔をしたゾロに、昨日の会話を一切理解していなかった事をすぐに察したナミが笑いながら言う。

 

「本当に好きになった子には、その子の国の言葉で口説きたいんだって言うから教えてあげたのよ」

「でもよォナミ。漱石なんてイマドキの子、わかるか?」

「判らないような子とは付き合わないほうがいいわ」

「何だその理屈!」

「オイそうせきって何だ」

 

 またしてものけものにされているゾロは面白くなく口を挟むと、ウソップが「ははァ」と揶揄する様に片眉を持ち上げて人差し指を立てる。

 

「えー、ロロノア君。I love youを日本語に訳してしてみたまえ」

「……はぁッ?」

「いいから言ってみなさいよ」

「そんなモン…愛してる、とか何とかじゃねえのかよ」

「照れないでよ気色悪い」

「アァッ!?てめェらが言えっつったんだろうが!!」

 

 ふふーん、みたいな顔をしている二人が気に食わない。声を荒げて手に持った湯飲みを乱暴にテーブルに置くと、ないはずの口ひげをなぞるような動作をしながらウソップが言う。

 

「ロロノア君。「月が綺麗ですね」といいなさい。日本人には、それで伝わるものだ」

「……ハァー?」

「ダメよウソップ。こいつは日本人の感性を理解してない。ゾロに愛の告白でもしたかったらバナナでも持って言ったほうがまだ確実だわ」

「誰がゴリラだ!!!っつか!なんで I love youが月が綺麗になるんだよ!?」

「怒るなよ!?夏目漱石がそう言ったんだって、結構有名な話だぞ!?」

 

 ウソップの胸倉を掴んで怒鳴ると、ウソップはゾロのぶっとい腕をタップしながら苦しげに唸る。その唸り声やナミの呆れた「やめなさいよ」と言う声も耳に入らない。ゾロの耳に蘇るのは、あのちゃらんぽらんなイタリア男の、珍しい真剣な顔。

 

『ゾロ』

 

『ツキ』

 

『キレイ』

 

 

 そして、それに邪険にかえしたゾロに、痛そうな顔で、それでも無理して笑って、そして。

 

 

 

『Scusami(ごめんな)』

 

 

 

「―――っわかるかよ!!」

「ぐるじいマジでごめんなさいゆるじで」

「てめェウソップ!!今すぐあのグル眉イタ公の連絡先寄越しやがれ」

「え?あ、サンジの?レストランの電話番号しかわかんねぇぞ……?」

「いいから早くしろ!!」

「何キレてんのよあんた…」

「キレられずにいられっか!!」

 

 

 

 ゾロの好きな相手にサンジ君が先に告白したのに今気付いたとか?などと当たらずとも遠からずな事をのんびり言うナミを尻目に、紙ナプキンにウソップに無理やり電話番号を書かせてゾロは学食を飛び出した。さしあたって次はパソコンが置いてあるラボに行かなければならぬ。ゾロの家にパソコンはない。インターネットで調べ物をする為だ。

 

「あのクソイタ公が……!」

 

 本当はインターネットで検索するよりも、隣にいた二人に聞くほうがゾロがラボに奇跡的にたどり着いて検索をするまでにかかる時間よりも早いはずだったが、あの二人に教わろうものなら、また捻くれた教え方をされるかもしれない以上はそんなマネは出来なかった。

 

 

 それに、あの会話の流れでイタリア語で「あいしている」とはどう言えばいいのか、などと。聞けるはずも無い。

 

 ラボは遠いが、イタリアよりは近い。ゾロは怒りとか羞恥とか焦りで酷く汗を噴出しながら、電話番号がかかれた紙ナプキンを握り締めて全力疾走した。

リリース日:2010/10/16

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