仮定の証明

 恋愛は惚れた方が負け。そんな事をはじめに言い出したのは一体誰だったのだろう、とサンジは煙草の煙を燻らせながら漠然と考える。サンジがレディに恋する立場であるならば、それは正しいと思う。彼女たちは対サンジにおいて常勝だ。勝とうとも思わない。彼女らは女神であり、サンジは恋の奴隷だからだ。勝とうと考える時点で罪だ。

 

 しかし、その恋愛うんたらを最初に言い出した奴が、押して押して押す事が正義だと信じきっているバカ、そしてホモに惚れられるような恐怖体験をしたのならば、果たして同じ事が言えるだろうか。

 

 少なくともサンジには言えなかった。サンジは対ゾロにおいては所謂惚れられた側に位置する立場であるが、けしてゾロに勝てているような気分ではない。平穏な船上ライフを送れている他のクルーの方がよっぽど勝ち組だ。そう思う。心底。

 

「おいコック」

「なんだマリモ」

「ヤんねェのか」

「ヤりません」

 

 一日最低一回こんな会話を繰り返させられて、サンジはそろそろ本格的に気を違えそうである。

 

 いくら恋愛事においては非常にポジティブな性格だという自覚があるサンジだってここまで追い詰められれば色々考え込むようになる。まず、サンジにとって性行為と言う物は愛し合う男女間で行われるべきものだ。百歩譲ってそこから性別という概念を取っ払ったとしてもサンジとゾロには当てはまらない。サンジはゾロを仲間としては大切だと――口にはしないまでも思ってはいるが、愛してはいない。

 

 そして、逆を言えばゾロもサンジの事を愛しているわけではないと思う。なんたってゾロに好かれている自覚がこれっぽっちも芽生えない。それこそバニラビーンズの粒の一つほども、だ。そこまで考えてサンジが「経験済みだ」と言った時のゾロの狼狽振りを思い出す。サンジ以外にはいないと言ったゾロの顔は真剣だった。サンジが思わず口を噤むほどだった。あれを思い出すと、あれっ、あいつもしかして本気でおれに惚れてんの、何て思ってしまいそうになるが、間違ってはいけないと首を振る。

 

 あの衝撃のホテルでの会話以来嫌がらせのようなヤるのヤらないのといった会話はするが、今までと同じように喧嘩もするし殴り合いもする。はたしてそこに愛はあるのだろうか。無いだろう。好かれているのはサンジの飯と、穴だ。考えてちょっとブルッと来たが仕方ない。だってゾロがサンジに求めている事はその二つしかないのだから。やはりゾロの要求はおかしい、と自分の考えを整頓したところで次は、どうすればゾロが自分を諦めるか考える。

 

 そもそも何故ゾロが自分に狙いをつけたか、考えて思いつくのは、多分、味噌汁だ。味噌汁が失敗だった。一度見聞きしただけの味噌汁を一度食卓に上げた事がある。その時に殊の外驚いたみたいな顔をしていたのを思い出す。飯を無感動に詰め込むだけだった奴の表情にどこか勝ったような気持ちになったことは今でも覚えている。けれどあれは別にゾロの為ではなかった。前日は何かの宴で、ザルといわれるナミが流石に飲みすぎたといいながら床についたのを覚えていて、飲みすぎた朝に貝の味噌汁がいいと本で調べたので、それを出しただけなのだ。

 

 ナミはたいそう喜んでくれたので、サンジはそれだけで天にも上る想いだった。だから、ゾロの「ハッ」とした顔はあくまでも副産物だ。豆乳を作ったあとのおからだ。いやおからは栄養満点だからおからに失礼だ。話がそれた。とにかくその味噌汁でゾロを餌付けしてしまったのだと、サンジは思う。多分あれはゾロの故郷の料理なのだ。

 

 自分はコックだし、ゾロにだけ不味い飯を食わせるなど矜持にかかわる。レディには極上の食事を出すが、ヤローはゾロに限らず等しく底辺でイコールなのだ。そこに贔屓も差別も存在しない。よってそこに手心を加える気は無い。過去に戻って出した味噌汁を引っ込める事だって出来ないのだから、飯はもう仕方ない。

 

 では、穴はどうだ。ゴクリ、とサンジは唾を飲み込んで腰を掌でさすった。ゾロに狙われる理由はここが処女だからに他ならないが、ゾロに狙われたくないので他の野郎にどうぞ掘って下さい、というのは論外、本末転倒である。はっきり言って死ぬまで処女地であって欲しいのだ。百戦錬磨のお姉さまになら弄ばれてもいいが、それを処女喪失とゾロが都合よく解釈してくれるかどうかで考えると、多分してくれないと思うので、新たな扉は開けないでおこうとも思う。

 

「死守しねェとなァ……」

「何をだ」

「お前からおれのバージンを」

 

 突然背後に現れたゾロにもサンジは煙草に火を点けながら自然に対応した。正直言っていくらゾロが気配を断とうとしても、サンジはそれ以上にゾロに対して気を張っている。背後は取らせない。船べりに背と肘を預けて天を仰ぎ煙を吐いて、喉元に視線が集中するのを感じて慌てて俯いた。弱点だとか普段晒していない部分だとかは晒さない方がいい。食いつかれそうだ。

 

「勉強はしたぞ」

「他で生かしてくれ」

「気持ちよくしてやるぞ」

「そんなこと言われて今すごく気持ち悪い」

「嫌よ嫌よも好きの内って言うぞ」

「嫌よ嫌よは嫌よだよ」

 

 白筒から毒を吸い上げてニコチンだのタールだの有害物質を身体に取りこみながら、三代鬼徹も真っ青の切れ味でゾロの言葉を切り捨てる。ゾロはサンジのにべも無い返事に唸り声を上げる。大変不服そうだ。不服なのはこっちのほうだと怒鳴ってやりたいが、先ほどまで考えたくもない事を考えていた最中なので脳が疲れていた。取り付く島も無い態度を崩さないサンジだったが、ゾロは頑張ってサンジの傍に居残っている。今日は粘るな、とサンジは碧眼をゾロに向けた。

 

「なァ」

「なんだ?」

 

 サンジからゾロに話し掛けたのは随分久方ぶりの事だった。ゾロの顔が、目が、まっすぐにサンジを見ている。なんだってこう……黙っていればまともなツラというか、偉丈夫というか、とにかく見られる佇まいをしているのに、その目を自分に向けてくるのか理解に苦しむ。ゾロのためにも目を冷まさせてやらなければという謎の使命感と、なんだか疲れきっていたのと、とにかく色々な要因があいまってサンジは少し弱った声で尋ねる。

 

「いつになったら諦める?」

「生憎いつになっても諦めねェんだよおれァ」

「おれは諦めてほしいんだよ!!」

「おれは諦めたくねェんだよ!!!」

 

 双方一歩も引かない。煙草のフィルターをギリと噛み締めてゾロを睨みつけると、ゾロもサンジを射殺さんばかりに睨み付けて来る。この目が、サンジに惚れているだなんてとても信じられない。恋とか愛って、もっと甘酸っぱいもんのはずだ。こんな身を斬られる様な痛みを伴う視線は知らない。サンジは顔半分を隠すように掌を口に押し当てて指の間に煙草を挟み、深い深い溜息をついて、少しの間を置いて尋ねる。

 

「おれとねんごろになってどうしてェんだ?」

 

 サンジから尋ねられた初めてとも言える建設的な質問に、ゾロは少し戸惑ったようだった。具体的な事を考えていなかったというよりは、どこか躊躇しているようにも見える。煙草が一本終わるまで待つと、ゾロは漸く口を開いた。

 

「メシ、作って貰いてェ」

「てめェが毎日食ってるメシはおれが作ってんだぜ、ご存知無かったら申し訳ねェが」

「知っとるわ!作り続けて欲しいってだけだ。……契る以外のセックスもしてェと思ってる」

「……っ言いたい事はあるが他には」

「一緒に戦ったり」

「今充分一緒に戦ってると思うが」

 

 それだけの会話でゾロが口篭る。やはりサンジの思った通りだった。酷く気に食わない気分になって、サンジは顔を歪めて意地の悪い笑みを浮かべながらフィルターを携帯灰皿に押し付ける。

 

「よし解った。てめェは要するにセックスがしてェだけだ」

「な!!なんって事言いやがる!?おれは……!」

「だったら今の問答をどう説明する!?セックス以外新しいのがでてこねェじゃねェか!」

 

 ゾロが声を荒げた事に内心驚きつつも、サンジの口は止まらなかった。はじめはただの性欲処理として狙われている事に安堵していたのに、この心境の変化は危険だと思いながらも契るだのなんだのとお綺麗な事を言っておいて結局は人を自由に使える穴としか思っていないゾロにひどく腹が立った。サンジの怒りの理由をサンジ自身が理解できていない中、ゾロは酷く静かな声を発した。

 

「おれだって」

「あァ!?」

「てめェに好かれてねェ自覚くらい、おれにだってある」

「そりゃ無かったらびっくりするよ」

 

 それをゾロが認めたことのほうが内心びっくりしたが、サンジは黙っておいた。どうやら普段のヤるヤらないの会話よりはまともな議論が交わせそうだともう一本煙草に火をつけた。

 

「おれがてめェと契ったあとやりてェ事を言ったら、てめェが引くことくらい解ってる。今以上に嫌われたかァねェ」

 

 それは安心して欲しかった。何しろ今すでに究極なレベルで引いているのだから今更だ。と思ったが、この男はサンジにとってのパンドラボックスである。開けた途端に際限なく嫌なものがごんごん飛び出てくるのだ。最後に残るのが希望だとも思えないが、今までの経験上このまま聞き続けるのはなんだかよくない事のような気がしてきた。

 

「……けど、てめェが聞きてェなら」

 

 何しろこの「サンジが尋ねる」「ゾロが真面目な顔をしてなんか言おうとする」と言う流れが今までの衝撃告白の時と一緒だ。引かないから言ってみろ、なんて事を言えばまたパターンに入った状態になってしまう。だが、サンジの尋ねた事に真面目に応えようとしているゾロをこのまま放置するわけにも行かない。口を開こうとするゾロに掌を見せて制止する。

 

「解った。紙に書け。」

「紙?」

 

 ゾロが顔を顰めた。何しろ剣の道一筋の男だ。ペンを持つことなどもうどれくらいぶりか自分でも覚えてはいまい。当然嫌そうな顔をしているが、サンジは先手を打つ。

 

「てめェもそこまで慎重になるってことは、ゆっくり考えてまとめた方がいいって事だろう。おれはそれを読んで、てめェを今以上に嫌ったり、邪険に扱ったりする様な事はしねェ。おれはテメェほど約束マニアじゃねェが、男に二言はねェ」

「本当だな」

「本当だ」

「……解った。書いてくる」

 

 きっとサンジを引かせる内容である事に違いはないだろうが、口頭で聞くよりはずっとマシだろう。ゾロが納得して頷いた事にほっとして、筆記用具を探しにか、その場を立ち去ったゾロの背中を見送った。

 

 

 

 

 

 ゾロは結局夜遅くまでその作業に取り掛かっていて、見張り当番のチョッパーに夜食を渡してキッチンに帰ってきたサンジに無言で紙を手渡して船尾の方へ歩いていってしまった。サンジはそのままキッチンに引っ込んで紙をテーブルの上に裏返して置き、紅茶と煙草と灰皿を用意して恐る恐る紙を裏返す。

 

「って、多ッ!!!」

 

 まず目を通す前に紙に書かれた文字の多さに辟易した。この船にはナミの測量机とダイニングテーブル以外には物を書くのに適した机と言うものが無いので甲板に座り込んで書いたのだろう、所々ぼこっとしている。板の隙間にペンが嵌ったのだろう穴まで見受けられる。

 

 乾く唇を紅茶で湿らせて全体的に眺めると、ヤるのヤらないのと不健全な事をサンジに毎日迫ってくるくせに、その内容は意外や意外性的な匂いのあまりしないものが多かった。

 

 買い物は全部一緒に行きたい。握り飯をあーんってしてもらいたい。寝顔を見たい。一緒に風呂に入って背中の流し合いをしたい。髪に触りたい。髭にも。一晩中抱きしめて眠りたい。二人きりで酒を酌み交わしたい。寝顔を見たい。みそ汁を毎朝作って欲しい。

 

 「同じ事二回書いてるし」

 

 内容はとても笑えるものではなかったが、ゆっくり考えてまとめろと言ったサンジの意図が反映されていなくておかしい。とにかくやりたい事をガンガン書いていった感じで、意外に字は読めなくも無いのだがところどころ黒く塗りつぶして書き直している箇所が多い。「みそ汁」なんて最初「みそ汗」と書いた痕跡がある。やっぱり味噌汁を出したのは失敗だったんだなと納得しながらも視線を文字の上に走らせる。

 

 『食器洗いを手伝いたい』。手伝えばいいじゃねえかと思ったけれど、そういえば不器用すぎて最近では頼むような事もなかった。『自分に向かって笑いかけて欲しい』。笑ったことなかったっけ、と思ったがそういえば最近は会話が不穏すぎて笑うようなこと自体減った。誰のせいだとも思わなくも無いが、煙草の灰を灰皿に落として頬杖を付きながら先を読む。ほとんど頭に入れないようにしながら目を滑らせると、最後の方は字の間隔が少し他の文字よりも開き始めた。書く事を躊躇した痕跡のような気がして、サンジはそこに目を落とす。

 

『一緒にいきたい』

 

 生きたい、だろうか。逝きたい、だろうか。指先でそこに触れると紙が想像以上にへこんでいて、裏面に指を這わせると感じられる凹凸で筆圧の高さが窺えた。

 

『■■■■』

 

 その次、紙の最後に黒く塗りつぶされた箇所がある。雑にぐちゃぐちゃと塗りつぶされたそれは書き損じたと言うよりは一度書いて躊躇して消した雰囲気だ。元々この紙に書かれた内容自体、サンジにこれ以上嫌われたくないなどと言って表に出さなかったゾロの思いなのだ。この塗りつぶされた部分はそれよりさらに奥まったところにある想いだったのだろう。

 

 好奇心は猫を殺すというパターンを今までサンジは忠実に実践しており、サンジが猫なら二回死んだ計算になる。それでも、そっと紙を裏返して凹凸を潰さないように目を凝らして指先で、ゾロが書いた文字をなぞる。そこに書いてあったのは。

 

 守りたい 

 

 

 

「クソ剣士」

「……なんだ」

 

 紙を渡してもう1時間以上経っていたが、ゾロは三刀を壁に立て掛けて地べたに胡坐をかいて起きていた。さすがに気が昂ぶっているのかもしれないとゾロを見下ろすと、やはりどこかそわそわしたようなウザい雰囲気を感じる。

 

「……読んだか」

「読んだ。読んで燃やした」

「燃やっ!!?」

「あんなもん誰かの目に触れたらどう説明すんだ!全部読んだから心配すんな」

 

 ゾロはそれでも不満そうだったが、燃やしてしまったものが戻るわけでもない。腕を組んで普段から刻まれている眉間の皺を益々深くする。サンジのリアクションを待っているのか、正面に立ったサンジの言葉を待つようにじっと目を向けてくる。

 

「……約束は守れそうだ。今まで通りてめェのことは邪険に扱うが、アレを読んだことで今まで以上になることはねェ」

「……そうか」

 

 喜んでいいのか悪いのか、微妙な表情をしている。目の前に立っていたサンジがしゃがみ込むと、目を追いかけるようにゾロの顎が引いた。両手がぐっと握り締められて膝の上に乗せられる。高さがほとんど同じになって、喧嘩の一歩手前みたいな睨み合いが続いた。

 

 恋とか愛って、もっと甘酸っぱいもんのはずで、こんな脳髄が痺れるようなにらみ合いをするのは恋とか愛とかじゃない。どちらかと言えば殺し合い、奪い合いだ。その割りにあの紙に恥ずかしい事を書いて塗りつぶしたりする。サンジは一つこのロロノア・ゾロと言う生き物について仮定を立てた。

 

「いいか、おれがいいと言うまでぴくりとも動くなよ」

「何……」

 

 膝の上に置かれたゾロの握りこぶしの上に、あの紙に「触りたい」と書いてあったサンジの料理人の手をそっと乗せる。それにじっと視線を落としたまま様子を見ると、サンジに言われた事をどうやら守る事にしたのかゾロはぴくりとも動かない。親指の腹で親指の付け根を撫でて、掌でボコボコと浮き上がった関節をさすり、指先で浮き上がる手首の血管をなぞる。

 

 サンジの立てた仮定はこれだ。「ゾロは恋を知らない」。だからこそ一緒にいるための村の掟とやらにばかり固執するし、恋が解らないので睨み付けもする。散々動かない握りこぶしを撫で回し、さらに5秒くらい頭の中で数えてからゆっくりとサンジは目線を上げた。

 

「……コッ、……コ、ック」

 

 サンジは内心頭を抱えた。イーストブルーの魔獣、三本牙の猛虎、海賊狩りのロロノア・ゾロ19歳。お顔が真っ赤である。立てた仮定が確たるものになったとともに、サンジはもう一つのことにも持ちたくない確信を持ってしまった。

 

(やばい。こいつ、ガチホモのくせにおれの身体だけが目的じゃねェ)

 

「コック……」

 

(本気で、おれのこと)

 

 名前も呼べないでバカみたいに人の職業を連呼しているゾロを尻目にサンジは手を離して立ち上がり、手に触れた事に何の説明も釈明もない事に顔を真っ赤にしたままおたおたしだしたゾロを放り出してサンジはキッチンに戻った。

 

(惚れた方が負けってのは、やっぱし合ってるのかもな)

 

 あまりの狼狽ぶりが面白かったので、サンジはニヤニヤと笑いながらキッチンのドアを閉める。ここでガチガチに固まってしまっていたゾロの股間までがガチガチになっていたことにもし気がついていたら、「男に二言はない」などときりっとした顔で交わしたゾロとの約束を意図も簡単に破ってしまっていたかもしれないが、ニヤついているサンジはそれに気づかずなんとか約束破りの誹りを受けずには、すんだ。

 

 もっとも、そのサンジもゾロにガチ惚れされている事を確認して気持ち悪がらずにニヤニヤしていること自体かなりおかしい事に漸く気がついて上げた叫び声がキッチンに響き、ナミにしこたま怒られるのは時間の問題であったが。

リリース日:2010/12/11

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