(なんでなんだよあのクソ野郎は……! ナミさんが言ってた事忘れたのか!?)
とある島で行われている島民全員参加の鬼ごっこ大会で、参加者としてハンターから逃げ回るサンジは口に銜えていた煙草のフィルターをぷっと吐き出した。
サンジと同じ逃走者グループとは別にハンターグループがいて、そのハンターがいわゆる鬼となり参加者を追いかけ回すこのゲームで、サンジは人目に付かない場所を探して走り回っていた。
何故サンジがこんな茶番に参加しているかと言うと、この大規模鬼ごっこ、ナミが目の色を変えるほどの賞金が出るのだ。
そして、参加者として最後まで逃げ切れば、逃げ切った参加者で一千万ベリーを山分けできるという事らしい。
対するハンターグループは出来高制。一人捕まえるごとに三万ベリーで、実入りは逃走者側に比べればぐんと少ないが、捕まれば一ベリーも懐に入らない逃走者側と比べて、一人でも捕まえればお小遣いが貰えるとして、よほど足に自信がない限りはハンターを選ぶ者が多い。
そこでナミが提案したのはこういうことだった。
サンジ、そして大型化したチョッパーが逃走者として参加する。そして残りのクルーはハンターとして参加し、サンジとチョッパー以外の島民を根こそぎ捕まえまくるという作戦。
ハンターとして参加者を捕まえればお小遣いも入るし、サンジとチョッパー以外の参加者が減った分だけ山分けした後の取り分が増えるという事だ。ナミ的にはチョッパーが本命で、サンジはチョッパーが万が一捕まった時の保険である。
チョッパーはこの逃走劇が終わるまで、鹿の姿でその辺で草でも食べておけばいい。
それならおれもハンターがいいんだけど、とひっそり希望を申し出てみたサンジだったが、即座に却下。サンジがハンターになっても女の子を追いかけ回すばかりで、しかも女の子を脱落させるなんてできないだろう。使えない男呼ばわりされてネガティブホロウを食らった時並に落ち込んだサンジだったが、図星すぎて反論も出来やしない。
ロビンが入れたフォロー曰く、賞金首として面が割れていないのはサンジだけ。チョッパーは変形できるし、参加者として出られるのはこの二人だけなのだと。
そう。上下ジャージとゼッケンの着用が参加者のルールであるのに対し、ハンターは、黒スーツ、黒ネクタイに黒手袋、サングラスの着用が義務付けられている。声を発することも、走り回って息を乱すことも禁止。その名の通り没個性的な「ハンター」として参加者を追い詰めなければならず、それを守れない場合はハンターとしての資格を失う。
身に着けさせられるインカムは、連絡用だけではなく声と乱れた息の探知にも使われるのだそうだ。
これだけ個性を隠せるなら、賞金首でもハンターとしてなら参加可能だ。スーツとサングラスで隠しきれない個性の持ち主であるサイボーグと骨については、船で留守番である。
持久力の問題などもあってか、ハンターはほとんど男ばかりだ。そんなものに追いかけられてもまったくもって嬉しくないサンジは早々に逃げ回ることを放棄して、適当な場所で時間を潰すことに決めた。
空中歩行を使いこなすサンジは三次元的に逃げる事が可能だ。見つかったらちょっと走って物陰に隠れ、空に逃げればいい。
ところが。
そんな余裕綽々だったサンジを極限までいらいらさせているのは、ハンターとして他の島民を捕まえていなければならない筈のゾロだ。物陰に逃げ込んだサンジとばったり出くわしたときは偶然だと思ったが、隠れた先々で狙ったように出くわすばかりか、本気で追っかけて来ていると察して絶対に故意だと理解した。
参加者でもハンターでもない島民の目もある。ウッカリであってしまったならバレない様にちょっとパフォーマンス的におっかけて、適当に見失ってくれたらいいのにゾロはそうしない。参加者のジャージに触れたらハント成功の信号が本部に送られる黒手袋をきっちりとはめてサンジを追いかけてくる。
無表情に。息も乱さず、声も出さず。
(ぶっちゃけガチ怖ェ)
何やってんだ、馬鹿! と怒鳴り散らしたいのは山々だが、ゾロには高感度のインカムが装着させられている。そこでちょっとでも仲間っぽい会話を拾われたら不正で二人もろともアウトだ。さらに、ハンターが参加者に暴力をふるう事は禁止されていて、その逆もしかり。サンジはただ逃げながら時折振り返り、ついてくんな殺すぞ、と口パクで言う事しかできない。
まったく、腕にバツ印を書いて、仲間の証としたあの日々が懐かしい。仲間に追い詰められているこの現状たるやまさに当時とは逆の状況である。
なにしろ空に逃げても着地した所にゾロがいるのだ。もうかれこれ一時間は走り続けていて、そしてさらに、ゲームのルールとして逃走できるエリアがどんどん狭まってゆく。ハンターはゾロだけではないのでさらに難儀で、サンジはもう誰を呪えばいいのか判らなくなっていた。
明らかにゾロを呪えば済む話なのだが、そうできない理由は何か。走りながらサンジは振り返る。目線の読めないサングラスを付けたゾロがただひたすらに追いかけてくる。一糸乱さぬとはこのことだ。
(スーツはおれの専売特許だってのに……)
前を向きなおしてサンジは片手で口を押える。
(クソ!!)
まあまあ、サマになっていると思うのは一万歩譲っていいとしても、この動悸はどうしたことか。この程度走ったくらいでどうにかなる心臓ではなかったはずだ。
両手で頭を掻きむしりながら走り、他の島民の目のない裏路地を目にして飛び込んだ。袋小路だが、このまま壁と空を蹴り離れてしまえばこっちのものだ。サンジの知る迷子マリモなら、この裏路地から抜け出すのには時間がかかるだろう。ふう、と流石に滲んだ汗をぬぐう。
じゃり、と革靴が地面を踏みしめる音が聞こえた。
ゾロだ。壁を背に振り返る。
ぎりぎりまで引き寄せ、そしてザマァ、という顔で逃げてやる。じり、じり、と後ろに下がると壁に背中が触れた。
走り続けたゾロは汗一つかかずにサンジの方へと歩いてくる。無言。
今だ、飛べ、と。
頭は思ったのに。
足が動かなかった。
いつもの緑の頭。いつもと違うスーツ、ネクタイ、サングラス。物言わぬ唇。
(本当に、ゾロか?)
追い詰められながら途端に不安になった。
サングラスの奥を見ようと目を凝らすが、自分の不安げな顔が反射しているだけだ。情けない。
「……っ!」
逃げなければと思ったというよりは、その自分の顔を見ていられなくて地面を蹴ろうとしたが、自分でも思ったとおり遅すぎた。ハンターは両手を壁につき、サンジを閉じ込めてしまった。
参加者を捕まえたと信号を発するのは手袋とジャージやゼッケンが接触したタイミングだ。ハンターはまだサンジに触れていない。
何がしてェんだ、いい加減にしろ、という思いを込めてキッと睨み付けると、無表情で、無言でサンジを追いかけ回していたハンターの唇が僅かに持ち上がった。そして、あ、と思う間もなく唇が塞がれる。
(――ゾロだ)
少し笑った口の角度も、触れる唇の厚みも、サンジの唇を噛んだり端から端まで舐めたりする、獣みたいなキスの仕方も。
ホッとしたのと同時に、さっきまで忘れかけていた猛烈な怒りがまた蘇ってきた。もしやこのために自分を追いかけていたのか、この男は。おかげで大変な目に合った、とサンジはこめかみに血管の十字路を浮かべ、意趣返しにゾロのクチビルの隙間に舌をさしこんでやった。
嬉々として舌を絡め返してきたゾロから少し唇を離し、キスというよりは舌の粘膜を擦り合わせる様にして、ぴちゃ、ぴちゃ、と音を立てる。舌先で擽ったり、喉を鳴らして唾液を飲みこんでは、離れた唇を時折触れあわせる。
手袋をつけた手で触れてしまうとサンジが失格になってしまうので触れることを控えていたようだったが、サンジを閉じ込めていたゾロの両腕が動いたの見て、彼の我慢の限界が近い事を察したサンジは煽る様に舌を出したまま顔を離し、口端から垂れかけた涎を舐めとってから、は、と荒い吐息を漏らした。
ゾロのインカムに向かって。
『はい、緑髪のハンターさん、息乱しで失格です。お疲れ様でしたー』
「……!!」
即座に各所に設置されたスピーカーからアナウンスが流れ、緑髪のハンターの無効性が島中に知れ渡る。効力が無効になったゾロの手袋を優雅に押し退けて、サンジは壁を蹴り、塀の上に立った。
「てめェ!」
ようやく声を出した牙を剥く魔獣を塀の上から見下ろす。まだインカムは生きているだろうし、下手なことを言うな、と唇に人差し指を当てるとゾロが歯噛みをしたので、にやりと笑って親指で唾液に濡れた唇を拭いながら空を蹴る。
「スーツ、悪くねェぜ? 惚れちまったかもしんねェよ、ハンターさん」
冗談めかして言えば本音も隠れるだろうと、黙ったままプンスカ怒る顔に向けて投げキッスをして、馬鹿にするみたいに言ってやった。
リリース日:2013/04/14