手当て

「こりゃずいぶん派手にやったな。……ん、折れてはいねェな。変な風に捻ってねェか?」
「平気だ! 擦り剥いていてェだけだ」
「よしよし、泣かずに偉かったな」
「こんくらいで泣くか!」

 ゾロの生徒であるルフィと養護教諭であるサンジは、ゾロの与り知らぬ所で仲良くなっていたらしい。考えてみればルフィは活発という言葉で片付けるにはあまりにもアクティブすぎる生徒だ。生傷も絶えない。ルフィが友達を怪我させることもある(被害者は主にウソップだ)。保健室に訪れる回数が自然と増えるのも無理からぬ話だ。

 サッカーの授業中に転倒、広範囲に肘から手首までを擦り剥いたルフィを連れてきたゾロは、所在なさげに二人のやり取りを見ていた。軽口をたたきながら傷口から砂を洗い流し、長椅子に座らせてガーゼにしみ込ませた消毒液で傷口を叩く。

「うぐぐぐぐぐしみるしみるサンジしみる!!」
「おう、傷口にいる雑菌を退治してるからだぞ、我慢しろ」
「そうだったのか! すげェ!」

 曲がりなりにも教員であるサンジを呼び捨て。そしてそれを咎めないサンジ。チクリと胸が痛んでゾロはひそかに顔を顰めた。清潔な防水フィルムで傷口を覆い、包帯をくるくると丁寧に巻いていく。赤い肉の組織が見えていた腕は真っ白な包帯に覆われて、包帯の端をぴぴっとテープで留めて治療は終わった。

「ルフィ、『手当て』って判るか?」
「お前失敬だな! それくらいわかるぞ。今サンジがしてくれた事だろ?」
「まあ、それはそれで手当だがよ。こうやってな」

 言いながら、包帯に覆われた手をサンジの指の長い手が包み込む。きつくない程度に巻かれた包帯を乱さない程度に、ゆっくりと摩る。

「手を当てると、なんか痛みが引く気がしねェか?手当てって言葉は手を当てることから来てるんだと」
「へー!確かにサンジの手はあったけェし、もう痛くなくなったな!」
「いや早ェよ」

 くく、と笑って跪いていたサンジが立ち上がりルフィの真っ黒な頭を撫でる。真っ黒な目でルフィがサンジを見上げ、サンキュ、と屈託なく笑う。おう、と頷くサンジの笑顔も、ゾロに向けられた事のないものだ。チクリ、とまたゾロの胸が痛む。

「よし、治療終わり」
「おう! じゃあサッカーしてくる!!」
「あ、ちょっと待てルフィ、保健室の利用履歴……あぁ」

 サルめ、と急くあまりに窓から飛び出していったルフィに片手で額を抑えると、入り口付近でずっと突っ立っていたゾロにサンジがようやく向き直った。長椅子に置いたままだったボールペン付のクリップボードに挟まれた利用履歴をぶっきらぼうにゾロに突き出してくる。

「お前代わりに書いとけ」

 連れてきたのはてめェだろ、と言ってサンジは血の付いたガーゼや消毒液の片づけを始めた。口では返事をせずにゾロは言われるがままにボールペンを手に取り空欄に書き込み始めた。使用者名、モンキー・D・ルフィ。滞在時間、十四時半から十五分間。怪我の原因、授業中のサッカー。治療の内容、消毒、止血の包帯。対応者――サンジ。

 その名前を未だに呼べたことは無い。それが判っているからか、ペンで書くのも躊躇した。そして、サンジがそれに気づいて、ああ、と声をかける。

「そこはおれがサインするから開けといてくれ」
「ああ」

 何となくほっとしてペンを下ろす。もうここにも彼にも用はない。すぐにグラウンドに戻って生徒たちを見なければならない。なのに、水道で手を洗っている男の顔が一度くらいこっちを見ないだろうか、と思うと、足が踏み出せない。

「まだなんか用か?」

 濡れた手をハンカチで拭きながら、ようやくサンジはゾロの方を見た。ルフィに向けていたような柔らかい笑顔はもう浮かんでいない。ずき、ずき、と胸が痛む。なんなんだ、これは。

「……いや」

 サンジと目が合うのを待っていたはずなのに、ゾロは自分から目を逸らしてサンジに背を向けようとした。すると、革靴の音が響いてサンジが近づいてくるのが判る。ふ、と視界にさっきまでずっと見ていたサンジの白い手が入ってきた。指先をじっと見ていると、その手は、その掌は、ぴたりと吸い付くようにゾロの胸に当てられた。

 ゾロの胸には大きな傷がある。高校を卒業したすぐ後に事故でついた傷だ。袈裟懸けについた大きな縫い痕は一生消えることがないだろう。一度怪我をして保健室でシャツを脱いだ時に彼はこの傷を見て、自分が痛そうな顔をしていた事を覚えている。

 掌で盛り上がった胸筋を、傷痕に沿うようにして撫で下ろす。さっきまで感じていた胸を刺すような痛みが甘く癒えていく。かわりに、心臓が早鐘を打ちすぎて、息が苦しい。

「……手当て」

 なんちゃってな、と戯れを恥じる様に触ってきた時とは対照的に素早い動きでサンジがパッと手を引いた。そしてその手をハエでも追い払うみたいに振る。

「ほら、授業終わるぞ。さっさと出てけ」
「……履歴」
「あ?」
「……手当ての、利用履歴。……書かなくていいのか」

 喉に言葉が引っ掛かるみたいにうまく出てこない。無理やり絞り出したそれを聞いたサンジの目が驚いたみたいに丸くなって、そして、くしゃりと細く歪む。

「ばーか」

 どくん、と再び心臓が激しく跳ねた。

(――また、痛くなりやがったぞ。どうしてくれるんだこのヤブ)

 心臓があまりにもうるさく鳴り響いて頭がい骨を通して鼓膜を揺さぶるものだから、チャイムの電子音が学校中に響く音で鳴り響いていたことに、ゾロはしばらく気が付かなかった。

リリース日:2014/08/03

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