スペシャルデザート予約済

 

 勇敢なる海の戦士。

 

 世界中の海図。

 

 何でも治す万能薬。

 

 真の歴史。

 

 海の果て、夢の船。

 

 旧友との再会。

 

 世界一の大剣豪。

 

 オールブルー。

 

 海賊王。

 

 

 いくつかの夢は叶い、いくつかの夢は―――叶ったと言えば叶ったとも言えるし、まだ途中と言えば途中ともいえる。それでもクルー達は一度全員が離れ離れになってから再会して、それからずっと一緒にそれぞれの夢を追ってきた。

 

 ルフィが海賊王を目指して船出をしてから八年の月日が流れたある日、料理人サンジがルフィを猫の仔を呼ぶみたいにちょいちょいと手招きした。仮にも―――いや、仮ではなく名実とともに、だが、海賊王をそんな風に呼びつけられるのは、そして何より素早くルフィがそれに反応するのは、サンジの手招き以外にはそうそう無い。ルフィは完全に餌付けされているのだ。ルフィに限った話では、無いが。

 

「おやつか!?」

「そうだ」

 

 レディファーストはいつだって崩さずにいたサンジが、今日はラウンジに他の全員を集めておやつをサーブしてから、船首にいたルフィを呼び寄せておやつの乗ったプレートを手渡した。甲板に二人きりだ。

 

「ルフィ、うめェか」

「あァ、うめェぞ!サンジの作る飯はいつもうめェ!」

「当然だ、海賊王」

「なんたってサンジはおれのコックだからな!」

 

 ふ、とサンジは銜えたままの煙草を揺らして笑みを浮かべる。他人に対しては良く自慢げにそう言ってくれる船長であったが、サンジに向けておやつを出しただけでそう言ってくるのはなかなかに珍しいことだった。恐らく、気付いているのだろう、とサンジは目を細める。この男は本当に、能天気な顔をしてサンジの事を誰より解っている。何年経ってもこの男にだけは敵わない。同じ男として悔しくも羨ましくもあるが、それ以上に誇らしい。これがおれの船長だ。どうだ、スゲェだろう、そんな気持ちになる。

 

「船を下りようと思う」

 

 オールブルー、サンジが捜し求めていた奇跡の海は、失われた海だった。イースト、ウエスト、ノース、サウス。それぞれの海の交わる場所に、サンジを筆頭とした麦わらの一味がそのオールブルーを蘇らせたのだ。サンジのためにとナミは海図を描き、またいつでも戻れるようにとプレゼントした。そしてそれはサンジの大切な宝物になった。そのときの冒険についてはいずれウソップが本を書くとか言っていたから、さぞ壮大な物語になることだろう。ここでは割愛する。

 

「あの海でな、店を出してェ」

 

 サンジは己の次の夢を、八年前と変わらぬ笑顔で語った。ルフィがそれを拒むはずも無い。ただ、サンジはずっとおれのコックだから、船を降りるという言い方は許さないと。それだけを言って、サンジの背中を押した。他の面子の反応はそれぞれ。ただ、全員が彼と彼の作る食事を惜しんだ。さようなら、は船長に咎められたので、「いってきます」、そういって、サンジは船を留守にした。

 

 

 そして二年。サンジがバラティエを出てからもちょうど十年になる。

 

 バラティエオールブルー支店は今日も繁盛していた。たった一人で料理と接客を切り盛りするオーナーシェフサンジは、最後の客を乗せた船の明かりが豆粒のようになってやがて見えなくなってから、甲板にでて船べりに両肘を預けた。手入れをしてはいるが切る暇も無い髪は背中まで伸びてしまい、今はそれを後ろで一つにくくっている。肩に掛かる後れ毛を背中に流し、コックコートのポケットから煙草を取り出した。

 

 ごと。ごと。波の音に合わせて木がぶつかり合う音や、軋む音が海原に僅かに響く。フランキーを頭に、ガレーラに頼んで造ってもらったバラティエ・オールブルー支店は、やはり魚の形をしている。客が迷わぬように掲げた篝火を種に煙草を灯すと、心地よい疲れが煙に溶けて口から流れていくような気がした。魚の船の上から眼下の海を眺め、そしてあの男の事を考える。大剣豪、ロロノア・ゾロの事を。

 

 あの男とはいつも仲たがいをしてばかりだった。一度遠く離れ離れになったことがあったが、その後の再会でも感動の再会だとかにはならずに普通に喧嘩した。その後はずっと一緒で、ずっと一緒に戦って、そしてずっと喧嘩した。そのゾロが。28だとかになってそろそろ落ち着いてもいいはずなのにちっとも落ち着かずにやっぱり自分と喧嘩に明け暮れていたゾロが。サンジが船を降りる前日、思いもよらぬ事を言ったのだ。

 

「てめェの店。……いつか、行く。一人で」

 

 万年ねぼすけ迷子が寝言をほざいてやがる、とか。ナミさんのスペシャル海図があっても一人じゃてめェにはムリだからちゃんとナミさんに連れて来て貰えよ、って言うか、ナミさんが来てくださればお前は要らない、とか、そういう罵詈雑言が浮かんでは消え、浮かんでは消えた。言葉の意図がわからなかった。きっとルフィたちもこの店を目指してくるだろう。だがこの男はひとりで来るのだと宣言している。それがどんな意味を持つかなんて。聞かされなければ、わからない。

 

 暫しの沈黙のあと、開いた口からは二文字。

 

「……おう」

「その時に、食いたいものがある」

「なんだ?」

「その時に言う。そしたら食わせろ。……約束だぞ」

 

 でたよ約束マニア。サンジは苦笑めいた笑いを煙草を銜える事で隠して、煙と共に「ああ」と吐き出したのだ。

 

 

 

「二年か」

 

 あの時から銘柄は変わっていない煙草の煙。同じように言葉と共に吐き出したのに、今日は何故か普段より苦い。あの日からちょうど二年。カマバッカに居た八年前よりも充実した日々だ。ここにはなんたって女も来るし、料理だってオールブルーの魚をつかって思いのまま。見たことのない魚もたまに水揚げされる。料理の腕も益々磨きが掛かったと思う。だが、それでも。あの時と同じくらいに長く長く感じた日々だった。

 

 サンジは認めざるをえない。

 

 出会ったときは互いにケツの青いガキで、ぶつかり合う事しか知らなかったマリモに。数年のときを経て、生意気に知恵をつけたあのマリモに。たった一つの「いつか」なんて曖昧な再会の約束で、心を縛られた事を。

 

 サンジは重々しく溜息を付いた。さっきから魚の船の横についた小船が波に揺れてゴツゴツとバラティエの側面にぶつかっている。サンジはそれを見下ろしながら再び指に挟んだ煙草を口に銜えた。オールブルーから買出しに行くのはいつも一苦労なので、サンジはいつもフィルターギリギリまで吸う。そして今日は殊更ゆっくりと吸う。あまりうまくも感じないのだが、それでもゆっくりゆっくり深く吸った。

 

 ―――が、それについに物言いが入った。

 

「……おい、クソコック!」

 

 地獄の底から響くような声だ。しかしサンジは動じない。

 

「当店の営業時間は終了しました。またのご来店をお待ちしてます。あと何人たりともおれの仕事のあとの一服を邪魔するやつは許さん」

「もうフィルター焦げてんだろうがっ!」

「チィッ、ケダモノは鼻が利いて困る」

 

 声の主はロロノア・ゾロ。サンジの先ほどまでの回想の主要キャラクターである、世界一の大剣豪だ。身体中のあちこちに傷をこさえて、それでもまだ何年も世界一の座を守っている。そして、相変わらず何年も自覚なき方向音痴のままだ。その大剣豪様がさっきからバラティエにごんごんぶつかっている小船の上で仰向けに大の字になっている。サンジは最初からゾロの存在に気づいていたはずなのに、ゾロを見下ろしながら悠長に煙草を吸ってその当人について回想していたのだ。そして煙草を吸いながら一向に声をかけてこないので、先に痺れを切らしたゾロが声を張り上げたのだった。

 

 サンジは面倒そうにゾロを見下ろしてから尋ねる。

 

「何日喰ってねェ?」

「四日だ」

「あと二日は余裕だな」

「余裕じゃねェ、アホコックが!腹減って死にそうだってんだよ!」

 

 何が悲しくて二度目の再会でこの男は漂流の末餓えかけているのか。2年ぶりの再会で相手は漂流。2年掛かったのは大半がおそらく迷子期間。もしかしてたどり着けたのは奇跡。らしいと言えばらしいが、どうせなら客として飄々と現れるとか、この時間に来るにしてもちゃんと客用入り口から上がって、気配なんか消しちゃって、背後から「よう」なんて声をかけられて思わず煙草落としちゃう、とか、とにかくそんなドラマティックなのを期待するのが人情と言うものではないか。

 

「良いからさっさとはしご投げろ!」

「アホがァ!ここはレストランだぞ!表に回れば客用のスロープがあんだろうが、そっから上れ!!」

 

 これもある意味ドラマティックではあるが、サンジはそういうのは求めていない。自分は何かとんでもない贅沢を言っているだろうか、とサンジは眼下の男に怒鳴り返しながら自問する。これじゃ十年の恋も覚めるわ。いやいや、恋など。このマリモ相手にそもそも。

 

「せっかくてめェが見えてんのに、こっから離れられるわけねェだろ!!」

 

 恋、など。

 

「なァ」

「アァ?」

 

 漸く大の字状態から身体を起こしたゾロが、サンジの静かな声にも間髪要れずにけんか腰で返事をする。鼻もよければ耳もいい。まったく獣だ。

 

「ここは夢の海だ。オールブルー」

「あぁ」

「全ての海の魚が手に入る。ムニエル、フリット、コンフィ、サシミ、何でもござれだ」

「初めてここを見つけたときにも沢山作ってたもんな」

 

 そうだ。サンジはオールブルーを蘇らせてから、三日三晩その魚を使ってクルーたちに「クソうめェ飯」を提供し続けた。ゾロも今猛烈に腹をすかせている。食いたい奴には食わせてやる、それが支店とは言えバラティエのルールで、そしてサンジのルールだ。

 

「で、約束だったな。何が食いてェんだ」

「おまえ」

 

 即答。さっき腹減って死にそうだとか言ってたくせに、これだ。サンジは鼻先で笑って縄梯子を投げ落とし、店内へ引っ込んだ。ぎしぎしと縄梯子が軋む音を波の音の合間に聞きながら、なるべく胃に優しく、そして出来るだけ早くできるレシピを頭の中のデータベースから検索する。

 

 腹が減っては戦は出来ぬ。自分が喰われる為にパワーをつけさせるなどとんだ笑い話じゃないか。笑えて笑えて仕方ないので、振り返って船べりに足をかけたゾロに向けて笑いかけてみたらばなにやらゾロが固まったように見えたが、無視してキッチンに引っ込んだ。

 

 数秒後、何かが海に落ちるような水音が聞こえたので、もう少し時間の掛かるレシピにしても良さそうだ、と、サンジは今度こそ大声で笑ってやった。時間があるのはいいことだ。なにしろ長年予約されていたデザートを出すには、心の準備が今しばらく必要そうだったので。

リリース日:2010/10/06

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