And now you may kiss the bride!

 いい?ぜーったいに、絶対に、絶対に!!騒ぎを起こしちゃだめよ!?わかった!?

 

 比較的治安のいい島について開口一番に言い放った航海士の顔は本気と書いてマジであった。島の名前はサカナ島、正式名称は解らないが島民は皆そう呼んでいる。サカナがよく取れるとかそういうことではなく、島がサカナの形をしているのだ。なのでサカナ島。

 

 そのサカナ島にたどり着いた麦藁の一味は、早速冒険だの買い出しだのに取りかかるべくなるたけ目立たぬサカナのしっぽ部分に錨を降ろし寄港準備を整えたが、今にも飛び出しそうな船長その他を声と拳で止めたのは敏腕航海士ナミであった。

 

 曰く、この島は海軍のお偉方のリゾート地として有名らしく、顔の割れているルフィとゾロは必ず変装していくこと、ゾロは刀の二振りは置いていくこと、そして冒頭の約束を全員に取り付けたのだ。ログは比較的早く溜まるが、最後までトラブルが起きないに越したことはない。

 

「サンジ君!」

「はぁい、ナミさん!」

「買い出しは出港当日でも大丈夫?」

「あァ、大丈夫だよぉ!それまでおれがあなたのエスコートを」

「決まり。サンジ君とゾロはこの島にいる間一緒に行動して。買い物の荷物持ちはゾロね」

 

 はぁっ!?と二人の声がハモった。ナミに対してゾロは文句を、サンジはゾロと自分が一緒に行動することに対してのデメリットとゾロへの罵倒を織り交ぜて抗議の意を示したが、それでナミの意向が変わるはずもない。二人は喧嘩さえしなければ比較的大人なのだから、確実に迷子になるゾロの手綱を取るサンジと、女に滅法弱いサンジのストッパーになるゾロは案外いいコンビなのだという持論であった。

 

 勿論その論法にまったく同意できない二人でも、口先で彼女に勝てるはずも無い。ぐうの根もでないところまでやりこめられて、冒頭の台詞である。時に船長命令よりも高い優先度を誇るナミの命令に結局は無言で頷いた二人だったが。

 

「なあゾロ」

「なんだコック」

「ここは二手に分かれよう」

「珍しく意見があったな」

 

 二人で一緒に行動を初めて10分もしないうちにサンジがナイスな提案をしてきたので、ゾロは一も二もなく飛びついた。もちろん誰かに追われているとか、二手に分かれなければならない特別な理由があるわけではない。

 

 サンジはナンパをしたいし、ゾロは酒場に行きたい。サンジは昼間から酒なんか飲みたくないし、ゾロは女に媚び諂うなんてしたくない。それだけのことだ。「おれが迷子になるはずない」「レディがおれを騙すはずない」というまったく根拠のない、かつ確実に間違った主張により、二人はその提案に合意した。二対ゼロ、素晴らしきかな民主主義である。

 

「宿代は一部屋分しか預かってねェからな、港の側のエイがモチーフの看板の宿だ。夜はここで合流」

「おい、何でてめェが金を預かるんだ。おれが先に着いててめェがどっかで女といちゃこいてたらどうすんだよ」

「そん時は野宿しろ」

「てめェ!」

 

 声をあらげつつも喧嘩はできない。ゾロは目深に外套のフードをかぶっているし、三刀持ち歩くことを固く禁じられたので腰には白塗りの鞘の一振りしか下げていない。三振りなければ喧嘩しないというわけではないがとにかく落ち着かない。

 

「ま、その前にてめェが宿にたどり着くってこと事態がそもそもねェ話だ。せいぜい海軍につかまらねェようにな、マリモ君」

 

 ゾロが何かを言い募る前にサンジはゾロを置いて女がいそうな人混みへ消えていった。歯ぎしりをしてそれを見送って、そして、小一時間後。

 

「……どういう事だよ」

「こっちの台詞だ……」

 

 あっと言う間に二人は再会していた。しかも、道でばったり出会ったのではなく、ものすごく、今までにない、あり得ないレベルで密着していた。

 

 場所は教会の椅子の中。座る部分が蓋になっている、礼拝にきた信者が荷物を入れることができる長椅子の中だ。その荷物を入れるための長細いスペースに、ほとんど抱き合うみたいにしてみっちりつまっている。

 

 事は10分前にさかのぼる。酒場を探して彷徨いていたゾロが海軍を見かけ、下手に睨まれる前にと人気のない教会に逃げ込んだところ、先客が居たのである。サンジだ。

 

 ナンパをするとか言っていたくせに何をしていたのかは知らないが、ポケットに両手を突っ込んで中央の道に佇み教会のシンボルである女神像を見上げている。

 

 天井のステンドグラスから射し込む光に照らされた金髪とか、黒いスーツからほんの少ししか露出されていない白い肌とかが、なんだかすごくアレだったので、ゾロは思わず近寄ってサンジの腕を掴んだ。

 

 アレというのは男に対する形容詞ではないのでそんな言葉を思いついた自分にぎょっとしたわけだが、振り返ったサンジの瞳の青さにまたアレな事を思ってしまいさらに驚いた。サンジも突然ゾロに腕を掴まれて驚いた顔をしていた。

 

 放つべき言葉も思い浮かばないうちに教会の外で「怪しい外套をかぶった男が消えたのはこの辺か!?」などという声が聞こえ、サンジの腕をひっつかんだまま開きっぱなしになっていた長椅子の荷物置き場の中に隠れ、蓋を閉め、暗闇の中二人。そして今に至る、と言うわけだ。

 

「てめェこんな所でなにしてたんだ。女にフラれたか」

「誰がだ!綺麗な格好した女の子をナンパしたらこれから友達の結婚式に参加するってんで教会に来ただけだ!ぼちぼち花嫁さんとか参加者がこっちに来る……っつうかなんでおれがてめェとこんなクソ狭い所に押し込まれなきゃなんねぇんだ!探されてたのは怪しいクソ外套野郎だろうが!隠れるにしても一人で隠れろよ!」

 

一つ訪ねたとたんにぎゃんぎゃんと十倍くらいになって返ってくる言葉にさっきアレな事を思ったのも忘れて、やはりこいつとはウマが合わないとゾロはため息を吐く。すると、不可抗力で腕の中にいるサンジがびくりと身を震わせ黙りこんだ。何かと思って問いかける前にサンジは身じろいで顔を背けている。

 

「……くせえ息吹きかけんな」

 

 顔に向けて息を吐いたつもりはないが再びの憎まれ口にもうこいつだけここから追い出すかと額に血管を浮かせたところで、徐々に人が集まり始めた気配を感じてゾロはそれを諦めた。

 

 海軍のものとわかる軍靴の足音。人々のざわつき。やがて始まるパイプオルガンの演奏。海軍はまいた様だがここで出ればただの外套男よりも不審すぎる。大勢の人の気配はあるのに音楽だけが流れている不思議な空間に、さすがのサンジも口を閉じることにしたらしい。ゾロはやっと落ち着いた。

 

 が、すぐに思い知った。この状態では、サンジがぎゃんぎゃん吼えていてくれた方がよっぽど気が紛れて良かったのだ。サンジが黙り込んでしまうと、腕の中のあたたかさとか、想像以上にすっぽりと腕の中に収まってしまった身体の細さとか、さらっとした髪の毛が頬をくすぐることとか、煙いだけだと思っていた煙草の臭いがサンジの体臭と混ざって、それを嗅いでいるとやけに口の中に唾が溜まるとか。そんなことばかりを意識してしまう。

 

「あー……花嫁さんの晴れ姿見たかったぜ…」

 

 そんなゾロの心境を知ってか知らずか、外に漏れでない程度の声でサンジが呟いた。怒鳴り声の時は気がつかなかったが、静かな声はやけに鼓膜を震わせて背筋がゾクっとする。必死に随意筋が動いてしまわぬよう平静を装いながら、口を開いた。

 

「てめェは人の女でもいいのかよ」

「バカ、一生に一度のことだぞ。レディを幸せにして差し上げるのがおれじゃねぇのは実に心苦しいが、美しいレディの晴れ姿見られる絶好のチャンスだったのによ…」

「離婚して再婚すりゃ二度目があるぞ」

「てめェは今すぐその口を閉じろ。レディの晴れの日に不吉なことを言うんじゃねェ」

 

 結婚なんて、と思っているゾロにとってはこのセレモニーに全く然したる意味など感じないが、サンジにとってはそうではないらしくゾロの言葉にサンジはひどく憤慨した様子でまた黙り込んだ。

 

 やがてパイプオルガンの演奏も止まり、人々が呼吸すらもはばかっている様な沈黙が訪れ、サンジは身じろぎすらしなくなった。ここまで静かになると自分の心音がやけに耳について、落ち着かない。溜まった唾を飲み込む音がサンジに聞こえていなければいいと思った。

 

「ジャックさん。あなたはマリーさんを妻とし、病めるときも、健やかなるときも、悲しみのときも、喜びのときも、富めるときも、貧しいときも、マリーさんを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

 

 牧師の声が響く。それは大きな声ではないのに、静まり返った空気の中、椅子の中で息を潜めている二人の耳にもよく届いた。誓います、と緊張して震えた声で新郎が言う。病める時も健やかなる時も。そのフレーズを聞いてゾロの脳裏に浮かんだのはなぜか腕の中にいるコックのことだった。この男は自分が苦しい時も辛い時もそれをおくびにも出さずクルーの為に尽くす。

 

 もちろん最優先は女であるが、彼が慈しむ物の中にクルー全体が含まれている事をゾロは知っている。ただ、ウマが合わないだけだ。

 

「……お、オイ」

 

 サンジが慌てたような声を静かに漏らした。なんだと思ったら、どうやら考え事をしている間にサンジを強く抱き寄せていたらしい。サンジはひどく動揺して両手をゾロの胸に押し当てて身体を押しのけるような姿勢を取ったが、どうも腕を突っぱねようとはしてこない。ここで暴れれば結婚式が台無しになってしまうと考えているのだろう。だったら今後二度と見られそうにない「静かなコック」と言うものを堪能してやろうと後ろに回した手で背中を撫で、首筋に顔を埋めて煙草に隠れた匂いを探す。

 

「マリーさん。あなたはジャックさんを夫とし、病めるときも、健やかなるときも…」

「おい……なんだよ……」

 

 牧師の朗々とした声とサンジの困ったような囁き声がゾロの耳に届く。その声がどうにも甘く鼓膜を揺すぶるので、鼻先を押し付けるついでに首筋に唇を押し付けた。頚動脈が薄い皮膚の下で脈打っている。それはきっと平常時よりも早い。

 

「悲しみのときも、喜びのときも、富めるときも、貧しいときも……」

 

 暗くて何も見えない。確かなものは互いの息遣いと心音と体温だけ。サンジはもう何も言わない。ゾロの胸に手を押し当て、ゾロの唇が移動するたびに時折息を呑むように呼吸を詰まらせる。密閉された空間で酸素が薄くなってきたせいだろうか、それとも。くらくらする頭でゾロは暗闇の中で唯一判別できるサンジの瞳を覗き込む。潤んだ蒼。

 

「ジャックさんを愛し、敬い、慰め、助け、その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか?」

「誓います」

 

 ゾロの誓いは己の野望に関わること、それだけだ。だから、こうして耳に入ってくる宣誓の言葉など何一つゾロには関係ない。それに、ゾロは神を信じていない。誓う先がない。なのに自分の手はサンジの頬を手探りに探り当て、初めて触るすべらかな頬を包み込んでいる。

 

「それでは、新郎新婦は」

「ぞ、ろ」

 

 サンジの声が名前を呼ぶ。もっと聞いていたい。だが、このまま止まる事も出来なくて。

 

「誓いの、口付けを」

 

 意外に長い睫がゾロの頬を擽り、サンジが目を閉じた事を知った。

 

 

 

 

 

「本当に騒ぎを起こさなかったのね!偉いじゃない二人とも」

「ガキ扱いすんじゃねェっての」

 

 言いつけ通り二人でホテルにやってきた二人を見つけたナミが心底驚いて声をかけると、ゾロが答える。サンジは先にチェックインをするためにカウンターの店主と話をしていて、ゾロはナミと二人残された。

 

「ルフィたちの部屋も取っておいたんだけど、冒険だなんだって出て言って帰ってくる様子がないのよねー…」

「そりゃ野放しにした方が悪いだろ」

 

 それもそうよねェ、なんてナミは言いながらキャンセルするかどうかを悩む素振りを見せる。

 

「あんたルフィたちの部屋使う?いくらトラブルが起きなかったからって最後の最後に宿を壊すとか洒落にならないし」

 

 普段だったら即座に頷いただろう提案に、自然とフロントの説明を聞いているサンジの後ろ頭に視線をやる。

 

「いや……いい」

「あらホント?じゃあキャンセルしていいのね?」

「あァ。コックと話がある」

 

 珍しい事もあったモンね、などといいながらナミは近くの宿の人間にキャンセルの旨を伝え、ロビンと飲みにいくと言い残して宿を後にした。

 

 本当は話などない、と言うか、思いつかない。結局あの後結婚式が終わるまでそこから出ることができず、そして二人とも終始無言であった。ここに来るまでも言葉を一切交わすことはなかった。気まずい、と言う言葉以外思いつかないのに、別の部屋で寝る気にはならなかった。

 

 サンジが振り返ってゾロを見る。嫌そうというよりはどこか戸惑いを隠せないような顔をしていて、ゾロに何か言いかけて薄い口を開き、結局それを口にしないまま背を向けた。貰ったキーを手に宛がわれた部屋に向かったらしい。

 

 とりあえずは、もう一度狭いところ、例えばクローゼットかなんかにあのコックをぶち込んで一緒に閉じこもって、もう一度アレを再現してみようと思った。そうすれば、病める時も健やかなる時もどうこうをあの男と誓うことなんてアホらしいにもほどがあるのに、それを口実にまたあの薄い唇に触れてもいいのならそれもありだな、なんて馬鹿な事を考える自分の気持ちみたいなものが見えてくるような、そんな気がした。

リリース日:2012/05/04

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