Shut Up And Shout!!

 竜宮城での宴も酣、瓶ごと貰った酒もほぼ残り少ない。

 眠気もやってきて、大の字になったままゾロは自分の恋人であるコックの気配を探った。

 

 そう、恋人同士なのだ。

 あのクソコックと、この自分が。

 考えるだけでむずむずと尻が落ち着かないが、夢でも妄想でもない、現実の事だ。

 二年の修行の間に得たものは多かったが、その修行が終わり一味で再会した後に得たものが一番代えがたいものだったとゾロは思う。 

 シャボンディで再会した後、買い物を二人でするチャンスがあってそこで喧嘩の勢い余って告白をしてしまったところ、なんと両想いだったらしい。どっちの方が先に好きだったかでまた喧嘩になり――

 

 にやー、と自然と頬が緩む。成就してからも、コックは周りにポーズをとりたがるので喧嘩は今迄通りだが、自分に向けてギャンギャンと吠えるばかりだったコックの自分を見る目線に色がついたような気がした。淡い桃色のような色。

 

 彼の女好きはもう不治の病なので如何ともし難いが、それでも彼の眼は自分に一直線に向かっているのだ。いずれは女にも目がいかないようにしてやるつもりだ。そこまで考えて、ゾロは腹筋の力だけで勢いよく身体を起こした。

 

 ――ぎゃ~~~~~~っ!

 

 二年の修行の間に得た力、覇気。これがなかなか身に着けてしまえば便利なもので、強い「思い」みたいなものが直接脳に届く。慣れないときは頭に響く音とも言葉ともつかない声が厄介なものであったが、こうした時には本当にこれを覚えてよかったと思う。

 

「コック……!?」

 

 立ち上がって「声」がした方へ走る。ゾロの脳裏に響いたのはかの恋人の、まさしく悲鳴であった。これが人魚の乳を見て上がった黄色い悲鳴とかだったらまだキスも済ませていない仲ではあるがギタギタに犯してやろうと思ったが、どうやら悲鳴は本物だ。悲壮感たっぷりで、今にも死にそうなそれだった。

 

 足音も高く駆け寄ると、サンジが竜宮城の豪奢な彫刻の柱に抱きついてガクガクと震えている。二年経って自分は相当成長した自覚があるが、一緒に戦って彼も相当に強くなった事を知った。朝起きないからといって二年前みたいに空まで飛ぶあの脚力で蹴られたら別の眠りにつきそうだと思ったくらいだったのに、その彼が、脅えている。

 

「コッ……!」

「サンジィ、どうしたー!?」

 

 柱に抱きつくくらいならおれにと近寄る前に、サンジに駆け寄ったのはルフィだった。サンジはルフィの姿を認めるとルフィに抱きつかんばかりの勢いで両肩をむんずと掴んで激しくルフィを揺さぶる。

 

「む、むし! むしだ、ルフィ!! ふな、ふなむし!!」

「ちょあ、さぁんじ、ま、わかった、わかったから」

 

 がっこんがっこん揺さぶられてルフィのゴム首が伸び頭の揺れ方が普通の人間ではありえないくらいになっている。よくよく見るとサンジたちの足元には数匹のフナムシがカサカサと二人に踏まれないように逃げ回っていた。

 

「サンジのでぇっけェ悲鳴が聞こえたから何かと思ったぞ! そーいえばサンジは虫苦手だったなァ」

 

 ほれほれ、とルフィが草履の足でバンバンと床を踏み鳴らすと、フナムシ達がざわざわと動き回って竜宮城の外へと逃げてゆく。どういう状態だったのかはわからないが、どうやらサンジはフナムシに囲まれて身動きが取れなくなって柱に張り付いていたらしい。

 

「よ、よくやったルフィ、助かったぜ、サンキュ」

「しっしっし! 今度骨つき肉な!」

「今まさに手に持ってんじゃねェか!」

 

 これはこれそれはそれ、とか言いながらルフィはもう一本取りに行ってくる、と肉を求めて走って行った。ふう、と深いため息をついてネクタイを直しながら、サンジはようやくゾロの存在に気付いたらしい。

 

「んだよ」

 

 一部始終を見られていたと悟ったらしく、どこか不貞腐れたような顔で、とてもかわいい。が。

 

「てめェ、今のはなんだ」

「……は? ……いや、……なんだっつわれても、虫が」

「てめェがエビカニタコイカ以外の足の多い生きモンに女子供みてェにギャーギャー言うのはもう判ってんだ、そっちじゃねェ、てめェが浮気したことの方が」

「誰が女子供……っつか、浮気!? オホホホイ今浮気っつったか!?」

 

 瞬時にキレたサンジがゾロの胸ぐらを掴んできたが、ゾロはサンジのネクタイを掴み返す。お互いの顔がキスできるくらいに近くなって、それでも今は怒りの方が勝った。

 

「なんでおれを呼ばねェ!」

「は!? 別にルフィを呼んだわけじゃねェよ、虫からどうやって逃れようか考えてたらてめェらが勝手に来たんじゃねェか」

「あんなでけェ悲鳴が聞こえたら誰だってなんだと思うだろ!」

「悲鳴!? そんなもん……!」

 

 あげてねェ、と言いかけてサンジは口を噤んだ。二人がやってきた理由にようやく合点がいったようだ。

 

「見聞色、か」

「おう」

「そうか……おれも修行で使えるようにはなったけど、発する方じゃなく受ける方だったからな……今みたいに強く思うと拾われるのか」

 

 二年の間に少し濃くなった髭を指先で摩りながら、むう、と俯いてそれからまたハッと顔をあげる。

 

「だったら尚更仕方ねェだろ、ルフィだって見聞色使えるんだからよ。浮気もクソもあるかよ」

 

 ぶー垂れた様子で下唇を突き出すサンジに、ゾロはその唇に噛みついてやりたい思いを必死に押し殺しつつ、とりあえず乱暴に掴んだネクタイを離して二年前よりも厚くなっているサンジの胸板を指先でトントンとつついた。

 

「何のための覇気だ。選んだ人間にだけ声を送れ、てめェ小器用なんだからできっだろ」

「あ……? 覇気ってのはそんな事も出来るのか」

「出来る。ルフィだって覇気で選んだ人間だけぶっ倒してただろ、覇王色とは別にしたって似たようなもんだ」

 

 ゾロはサンジの両肩を掴んで、顔をじっと見つめる。

 

「特別な人間にだけ届けるんだ。おれはてめェのトクベツなんだから、できるだろ」

 

 う、とサンジが口の中でもごもご言っている。照れている。わかった、やってみる、と極々小さい声で言ったままサンジは俯いてしまった。指先でさらりとシャープな顎を掬うと、目元が赤く染まったせいで少し涙目に見えて、たまらなくなって顔を近づけた。

 

「おれだけを呼べ」

「……ゾロ」

「声に出ちまってるぞ」

 

 練習の為にな、と嘯いて、ゾロはサンジの唇を塞いだ。初めてのキスからは強い思いが流れ込んでくるようで、ゾロは優秀なサンジを褒める様に丸っこい頭を撫でながらも、しばらく唇は塞ぎ続けた。

 

 

 

 後日、魚人島を出てからも色々あり、久々の穏やかな船旅。逆立ちで足の裏に巨大バーベルを乗せ腕立てをしていたゾロの頭の中に、サンジの直接声が響いた。

 

 ――ゾロ!

 

 ガッターン! グワングワングワン、と激しい落下音を立てて巨大バーベルを床に落としたが、構っている暇はない。トレーニングルームから飛び降りながらルフィの様子を見たが、ウソップやチョッパーとはしゃいで走り回っており声を聞いた様子はない。呼ばれたのは自分だけだ。

 よしよし、と思いながら変に思われないようにトレーニング後の水分を取りに行く体でキッチンへ向かう。下手に焦っている様子を見せたら他のクルーが様子を見に来てしまうかもしれないからだ。

 

 がちゃ、と扉を開けるとサンジが壁に張り付いて煙草を吸っていた。天井を見上げて煙を吐いている。心を落ち着けようとしているらしく煙の量が普段より多い。

 

「……どうした」

 

 言いつつも、サンジの行動パターンは大体わかる。この部屋で、おそらくサンジの立ち位置から対角線上の一番遠い所を見ればその元凶があるはずだ。

 偉そうに顎をしゃくっているが、必死にそっちを見ないようにしているのが笑える。

 

「タダ働きはしねェぞ」

 

 精々悪く見える様に口角を上げてやると、サンジは何か憤慨したように眉を釣り上げた文句を言う前の表情を浮かべて大口を開けたが、下手に出ておく方が賢明だと判断したらしい。いつもの暴言を吐かずに、紫煙を吐き出しながらひくい声を出した。

 

「……今夜、ご褒美、期待してろ」

「よし」

 

 言質を取り満足したゾロはニッと笑って事件現場へと足を向けた。見ると、黒い艶のある虫がひっくり返って腹を見せている。サンジが動揺しながらもそこそこ落ち着いていたのはそれがすでに死骸だったからのようだ。

 そう言えばサンジやナミが嫌がるので、チョッパーがそれらを撃退する団子の様なものを作っていた。最初の頃はルフィが食べてしまってサンジがキレていたが、ルフィも「あまりうまいものではない」と学習してからは食べなくなり、結果がこういう形で表れたという事のようだ。

 拾って海に捨てればいいのかと手を伸ばすと、サンジの鋭い声が飛んだ。

 

「素手で触ったら今夜のご褒美は無しだかんな!!」

「じゃどうしろってんだ」

「そこに古新聞あるだろ、それでなんとかしろ」

 

 偉そうに、と思うがご褒美を盾にとられるとこちらも弱い。ゾロは仕方なく新聞紙でその虫の死骸を掬い持ち上げた。

 

「ほ、本当に死んでるか?」

「見てみるか?」

「いらねェ!!」

 

 新聞紙の上に死骸を乗せたまま一度キッチンの外に出て、海にポイ。新聞紙を持って戻るとサンジは指に挟んだ煙草でゴミ箱を指す。忠実な操り人形のごとく新聞をゴミ箱に捨てると、で?と振り返る。

 

「ご苦労。手ェ洗って巣に帰って良し」

「そんだけかよ」

「ご褒美は今夜っつったろうが」

 

 ぷかー、と煙を吐き出すサンジはもはや先ほどの怯えを一切匂わせない。まったく、と不満を態度と覇気で表しつつ手を洗っていると、サンジが作業を続ける為かゾロのいる流しの方に歩み寄ってきた。

 

 水にぬれた手を振って水滴を払っていると、横に立ったサンジが何か言いあぐねる様に何度か口を開閉し、それから口を真一文字に結んで、目を逸らしたまま作業を再開した。

 

 何か言いたげだなと思ったその時、ふわりと柔らかい声が届いた気がした。

 

 ――飯終わったら、風呂、入っとけ。

 

 ぴく、と肩が跳ねた。自分だけを呼べるようになったのはつい最近の事なのに、明確に意味を持った言葉が届いた事に驚いてサンジの横顔をじっと見る。見込んだ通り器用な男である。

 そしてその内容。どうやら今夜のご褒美は本気で期待しても良さそうだ。

 

「おう」

 

 真っ赤に染まった耳たぶを軽く摘んで引っ張ってやると、ふい、と顔を背けられて、もう顔のにやけが収まらない。風呂は二日前に入ったばかりだったが、今日は綺麗好きのコックの為に隅々まで洗ってやろうと思った。

 

 

 

 

 翌日。若い二人が朝まで仲良くして、眠るタイミングを逃してしまったので朝食後に仮眠を取ろうと言うことになり、ゾロは朝食を作っているサンジの姿を対面キッチンで眺めながらニヤニヤとしていた。作業は滞りないが、どこか歩みが覚束ないのは自分のせいだ。

 

 ――!

 

 キッと睨まれて、同時に頭に何か響く。動揺しているのか、落ち着いていないと意味のある言葉を届けるのが難しいのかはわからないが、言いたい事は判った。ニヤニヤすんな、だ。声を発さないのは横着をしているからではなく声が枯れているせいだろう。

 

 頬杖をついたままますますニヤニヤしていたら、ガチャリと音を立ててダイニングのドアが開いた。二人きりの時間の終わりを告げるそれに顔を引き締めてそちらを見ると、珍しい事にそれはルフィだった。サンジの次に早起きなのはナミあたりだと思っていたが。

 

「は……うう゛ん! 早ェな、ルフィ。おはよう」

 

 咳払いをして喉を整えてもわりと無駄なかすれ声でサンジがルフィに声をかけた。その声がセクシーなので、ルフィに聞かせるなと眉を寄せるとルフィの代わりの話し相手になるべく、よう、と自分からも声をかけた。ルフィは眠そうに目を擦っている。

 

「眠ィならまだ寝てりゃいいだろ。コックもまだ飯作り終わってねェぞ」

「うー、あんま寝れなくて起きてたら腹減っちまってよォ……」

「てめェが寝れねェなんざ珍しいな」

 

 そういうと、ルフィは珍しく非難がましい目でゾロを見た。おやすみ三秒のてめェと一緒にすんな! と、サンジあたりなら怒鳴りつけてきそうだが、はて、ルフィがそういうことを言うタイプだったろうかとゾロが眉を持ち上げる。

 

「だって、昨日の夜おまえすっげーうるさかったぞ? ずーっとコック、コックっつってよー。サンジはうるさくなかったか?」

 

 ぴたり、と擬音が聞こえそうなくらいサンジの一切の動きが止まった。何かを包丁で切っていた音が止まったのは勿論、ぐつぐつ沸騰していたお湯の音でさえ空気が凍り付いて止まったような気がした。

 

「あぁ……おかげで昨日は寝てねェ」

「だろー? 明け方やっと寝れたんだけどよぉ、腹減っちまって結局起きちまった! サンジ飯まだかー?」

「もう少し待ってろ、……ちょっと生簀から好きな魚とって来い。てめェには特別に焼き魚一匹追加してやる」

「うほーっ!! まじか! それじゃあ一番でっけーのとってきていいか!?」

「一番は晩飯に使うから駄目だ。二番目ならいい」

「ちぇーっ……でもいいや、髭がすーっげぇ長かったうなぎみてェな奴取ってくる!」

「おう、溺れるなよ」

 

 グニャグニャとしていたルフィはシャキッと起き上がってキッチンから駆け出して行った。残った二人の空間はしばし沈黙に支配され、サンジが手元の作業を再開しながら口を開いた。

 

「つかぬ事を聞くが、てめェ、おれにドヤ顔で『出来るだろ』って言い放った特定の人間にだけ声を届けるっての」

「……てめェは小器用だからできるって言っただろ」

「まァてめェは不器用だもんな」

 

 ははは、と笑ってサンジは刻んだ野菜を沸騰した鍋に入れた。手を洗ってタオルで手を拭い、座るゾロの方に歩み寄る。そして、二コリ、と笑った。もう嫌な予感しかしなかったので身体中に力を籠める。

 

 

「てめェの鼻息ダダ漏れじゃねェかこのクソ剣士がぁああああああああああああああっ!!!」

 

 

 

 ルフィが開け放ったままだったドアから勢いよく蹴り飛ばされながらも、昨日思いっきりやっておいてよかったと思った。万全の状態だったらきっと飛距離が倍以上だったろう。

 

 ――朝飯までには戻る。

 

 ためしにサンジにだけ向けて声を届けてみたつもりだったが、生簀から巨大なウナギモドキを引きずり上げて肩に担いでキッチンに戻ろうとしていたルフィが空を飛ぶゾロに向かって手を振っている。

 

「おー、迷子になるなよー!」

 

 やはり失敗したようだ。だがこの程度で諦めるゾロではないし、なんとしても細やかな覇気の制御を身に着けなければコックには二度と触らせてもらえないだろう。

 修行大好きなゾロは少し燃えて、新しくできた目標ににやりと笑い、盛大な水しぶきを上げて着水すると共に拳を握りしめたのだった。

リリース日:2012/08/05

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