Thirst

 サンジはなんだかんだで面倒見がいい。なんだかんだ、というと語弊があるかもしれないが、女に対してだけでなく男に対してもあれやこれやと面倒を見ている。職業病というよりは世話焼き体質なのだろうと思う。奴の育った環境を考えればどちらかといえば世話を焼かれていたほうだろうから、その反動じゃなかろうか、とゾロは思っている。毎日喧嘩ばかりの自分に対しても、やれ水分を取れ、やれおやつを食えと喧しい。

 

 正直言えば最初は疎ましいと思っていたが、今思えばそれを疎ましいと思うほどに自分の生活ペースが乱れていたんだろう。三食食えておやつもあるなんていう生活は陸に居る間だって送っていなかったくらいだ。トレーニングのあとのサワー何とかという奴も、なにやら疲労物質をウンタラカンタラするクエンさんだのどこの誰だか知らないがなにやらいいものが入っているらしい代物らしく、効果の程は始めのうちはよく解らなかったが、そういえばトレーニングによる疲れが後を引かなくなったような気もする。そして、味もうまい。

 

 そして、トレーニングが終わる頃に丁度いい温度に冷やしてあるのもいい。キンキンでも無い、ぬるくも無い、身体を冷やしすぎないが火照って乾き粘着いた咥内をさらりと洗い流してくれるアレを、ゾロは気に入っていた。初めの内はトレーニングを終えてその場で大の字になるゾロを見かねたのかサンジが手ずから持って来てくれていたが、最近はゾロが自分で取りに行くようになっていた。メリー号のときは船尾とキッチンの距離が近かったが、サニー号になってからはゾロの巣はキッチンから遠くなってしまったからというのもある。

 

 今日は少し待ってみようかと思ったのだが、一度その鍛錬後に乾いた細胞の一つ一つを潤してくれるようなそれを覚えてしまっている咽頭がぺたりと張り付くような感触で気持ちが悪い。上半身裸の裸足で錘付きの棒を鉄の床に置くと、ゾロはトレーニングルームを一旦後にした。日差しがカンカンで芝生も熱を持っている。朝からサンジや女たちが手分けをして干していた白いシーツが靡いているが、船の揺れが普段と違う。凪いで居るわけでも無いのに船が止まっているらしい事に気がついたゾロは、首をかしげつつもキッチンへと向かった。

 

「クソコック、水」

 

 キッチンのドアを開けて早々に言うと、ふわりと甘い匂いが鼻についた。何か作っているのだろうかと思ったが、サンジはダイニングテーブルの椅子に腰掛けて何をするでもなく休んでいた。本当は欲しいのはあのなんちゃらサワーなのだが、いちいち名前を覚えていないし、トレーニング後にそう言えばサンジはそれを用意してくれるはずだった。だが、今日はサンジはそれにうんともすんとも言わずに、あァー……、と、どうにもバツの悪そうな声を上げる。

 

「今、フランキーが汲み上げ濾過機とタンクの清掃中なんだ、真水がでねェ。もうすぐ終わるっつってたからもちっと待て」

 

 なるほど、船が止まっているのはそのせいか、とゾロは納得する。サニー号の汲み上げ機は船の推進に合わせて海水を汲み上げる。真水の精製はメリー号に居た時より格段に楽になったが、その分複雑になった機器のメンテナンスは必要だろう。

 

 しかし、飲めないとなると益々喉が渇くのが人間というものだろう――例え魔獣と他称されるゾロでもそれは同じことだ。だったら酒、と思わなくも無いが、キッチンで濾過機のメンテが終わるのを待っているサンジがそれを許すとは思えない。ギャンギャン煩かろうが、ためしに酒を強請って見ようか考える前に、サンジが対面キッチンに入り込んでなにやらもぞもぞと動き出した。

 

「待ってろ。本当はもう少し熟れてからがいいんだけどな……」

 

 ダイニングキッチンの扉を閉めると、扉を開けた時に感じた甘い匂いがさらに強くなったのが解った。この香りはゾロにも覚えがある。砂糖の入った焼き菓子やそういうものとは違う、自然の甘い香り。

 

「……桃か」

「あたり。よく解ったな」

「匂いがした」

 

 カウンターに肘を乗せて手元を覗き込むと、毛羽を拭って白い部分の殆ど無い短い爪で器用に皮を剥いている。しかしやはり本人がぼやいた通り、すいすい剥ける箇所とそうでない箇所があり少しばかり熟し具合が足りないようだが、剥き難い部分はフルーツナイフを使ってごく薄く皮を削いでいる。

 

「丸かじりするだろ?」

 

 肯定以外の返事を期待していない風の問いかけだ。女相手に出すときは綺麗に食べやすくカットしてフォークをつけて出すのだろうが、喉の渇きを潤したいゾロにとっては丸齧りの方がありがたい。ああ、と頷くと丁寧に剥き終わって乳白色の果肉を露にした桃を、サンジが差し出して、引っ込めた。受け取ろうとしたゾロの手が空を薙ぐ。

 

「あ?」

「手、洗え。串団子ぶん回して汗拭って縄梯子引っつかんで降りてきたクソ汚ェ手で触られたら桃が泣く」

 

 そういえば、指先は鉄のにおいをまとわり突かせている。サンジの言った通り清潔とは言いがたい。だが。

 

「水が出ねェんだろ」

「あ、そうだった」

 

 海水でもマシかなァ、などと桃を手に持ったまま思考を廻らせている様子のサンジの手首に桃の果汁が一筋、こぼれかけて。

 

「ちょ!!て、めぇっ」

 

 反射的にカウンター越しに肘を掴んで、その果汁を舐め上げた。甘い。舌は乾いていて、粘っこい唾液と果汁が混じって蛞蝓が這った様なあとを白い肌の上に残す。狼狽したサンジはしかしそのゾロを突っぱねることが出来ない。手に掴んだ桃を置く皿を用意していなかった事もあるし、剥いた桃はつるつると滑るのだ。下手をすると落としてしまう。

 

 ゾロは怒りの色を宿したサンジの目をにやりと笑って見据えながら、桃にかじりつく。果肉を臼歯で噛み砕いて果汁ごと喉を鳴らして嚥下しながら、肉厚の舌で一滴も逃さぬとばかりにサンジの手を嘗め回す。桃を齧っては手首を舐め、齧っては指の股を舐め、齧っては指先をしゃぶる。サンジの顔は羞恥と怒りと色々なものが混じって、確実に剥く前の桃よりも赤く真っ赤に染まっている。サンジの掌の体温で温まってきた桃の果肉は、余計に甘く感じた。最後の種まで、サンジの手の上に乗せたまま繊維のひとつも残らないほどにしゃぶりつくした。

 

「ごっそさん」

「……てめェ」

「おれは食い物を粗末にしなかったし汁も零さなかった。汚れた手も使わなかった。……なんか文句あんのか」

「あるわボケが!!!ひっ、人の手、べろべろ舐めやがって!!一流コックの!大事な手が!マリモ液で緑色に腐ったらどうしてくれんだ!!」

「洗えばいいだろ」

「水が出ねェんだよ!!」

「あァ、そうだったな」

 

 ギィィィィ!とこの世のものとは思えぬ奇声を発するサンジを見てゾロは喉の奥で笑った。いけ好かないコックをキャインと言わせてやれたことにも満足した。もう少し真水が出なくてもしばらくは持ち応えられそうだった、が。結局ブツブツいいながらサンジは海水で手を洗おうと対面キッチンから出て行こうとする。その背中を見ていると、今度は別の何かが、酷く、酷く、乾きだしたような気がした。サワーナントカよりももっと、体の奥で燻る渇きを癒してくれそうな何か。中途半端に潤されたものだから、その渇きをやけに強く感じる。

 

「……足りねェ」

「贅沢言うんじゃねェよ。あとはもう少し熟れてからだ」

「なァ、クソコック」

「あァ?」

 

 

 桃一つでは到底癒しきれない渇きに、気付いてしまった。

 

 

「喉が、渇いた」

 

 

 サンジはそれに、返事が出来なかった。

リリース日:2010/08/25

戻る