トリックスターの喜劇

 ロロノア・ゾロは気付いてしまった。それは、仲間になった時からどうにもムカついて仕方がないコック、サンジの秘密だ。たぶん隠していることなのだろう。そうでなければあの良く回る口があんな重要っぽい事を船長や女共に黙っておくはずがないのだ。だから、これを知っているのはゾロだけだと思う。

 

―――奴は狐だ。狐が化けてんだ……

 

 ある夜のことだった。とても寒い夜で、ゾロは不寝番だった。朝までうとうとしたり寝たりしながら任務を遂行し、朝日が顔に当たって目を覚ました。とどのつまり殆ど寝ていたような気もするが、さしあたって特にトラブルも無かったのでよしとする。こんな寒い朝はいっぱい呑んでから寝なおすに限る。一杯かいっぱいかはさておき、早起きのサンジが起きてくる前に酒の一つでも貰っておこうと思ったゾロだったが、考えを行動に起こすのが一足も二足も遅かったらしい。キッチンにはすでに人の気配がした。

 

 舌打ちをしてドアを開けようとノブに手を伸ばし、丸窓を覗き込んだゾロはその手を止めた。中に見えた光景は未来の大剣豪の動きを封じるのに充分なインパクトを孕んでいた。

 

 ドアに背中を向けるサンジの頭の上には、なにやらぴんとした三角っぽいものが二つ。そして、すらっとした長い足が伸びている足の付け根を隠すものは、もっこもこの毛筆のような、先端が白く色抜けした薄茶の。

 

(……尻尾!?)

 

 

 道理で化け物じみたやつだと思った、とゾロは驚きながらも納得した。あんな細こい腰とひょろ長い脚で岩をも砕く蹴りを放てるのは、なにかの妖術だ。飯がなにを作らせても旨いのも。もしかしたらクルーは全員化かされていて、変化した葉っぱとかを食べさせられているのかもしれないとも思った。だからルフィなんかは食べても食べても足りないような素振りを見せるのではないかと。女を前にしたときのあの骨の所在を本気で心配するレベルのくにゃけた動きだって、人間業ではない。

 

 極めつけはアレだ。その日は寒いながらも良い天気だったので、全員で洗濯をする事になった。サンジは普段のスーツのジャケットを脱いで、青のシャツを腕まくりして桶をジャブジャブ言わせていたが、泡まみれになったルフィやチョッパー、ウソップたちのテンションが上がりきった結果、案の定サンジも巻き込まれて泡まみれにされていた。ギャンギャン吼えて、三人に鉄拳ならぬ鉄脚の制裁を加えてブチブチ文句を垂れていた。

 

「うぇェ、ベタベタしやがる」

 

 肌に張り付くシャツを引っ張り、ボタンを外して白い肌を晒して。

 

「オイ何をボーっとしてんだクソ剣士。てめェのくせェジジシャツとハラマキもさっさと洗え!」

 

 真っ白でつるっぺただが、薄く、それでいてしっかりとした大胸筋と腹筋を纏った上半身を見せつけながら、いかにも、喧嘩を売っていますよ、構って欲しいですよ、ってなガキっぽいような、それでいてどことなく流し目めいた艶っぽい雰囲気もある顔で、そんな事を言う。

 

 ゾロは股間に集まりかけた熱を否定する為に、本能的にそこからダイナミックに大海原へとダイブした。

 

「真水で洗わねェと意味ねェだろが、アホ!!」

 

 散々罵られたが、海の水も冷たかったので幸い頭は冷えた。この冷たさなら膨れたモノだって縮み上がる。が、知ってしまった今のゾロにしてみれば、あのような自分の変化も納得は行かないが理解は出来た。

 

(ありゃあ、おれをかどわかそうとしてやがる)

 

 どこへ拐すつもりかは知らないが涅槃とかあの世とか魔界とか地獄とか、とにかくここではない何処かだ。つまりアレもコレも全部妖術のせいだ。そうに決まっていた。

 

 別に、サンジがコックである限りゾロにとっては多少いけ好かない相手だろうが問題等なかったのだ。葉っぱを食わされていたとしても腹は満たされているし、栄養不足で誰かが倒れたりもしていない。耳が生えていようが尻尾の触り心地が良さそうだろうが女にメロメロしていようが、関係ない。

 

 だが、サンジがかどわかしの相手にゾロを選んだというのであれば、それはまさに飛び掛る火の粉だった。払わなくてはならない。化け狐のあのふっこふこの尻尾を掴んでやる。そんな意気込みでいながらも、ゾロはキッチンに入らずしばらくゆらゆら揺れる尻尾を眺めてから扉の前から立ち去った。誰も見ていないと思っているのにニコニコしながらメシ(葉っぱには見えなかった)を作っている化け狐を見ていたらまた妖術に引っかかって身体とか顔とかがカーッと熱くなったからだ。作戦を立てていかなければ危険だった。

 

 その二日後、船は島に着いた。船番はサンジだということだったが、サンジには買出しと言う重要な任務がある。「眠い」と言い放ってゾロは船に残った。作戦通り買い物を終えたサンジは嫌そうな顔をしながらもゾロを追い出すことはしなかった。この二人きりの空間でサンジの尻尾を掴んでやろうと思ったゾロだったが、少し遅めの朝食を用意するサンジには獣の耳も尻尾も生えてはいなかった。そして、供された飯もどう見ても葉っぱには見えなかった。よくよく噛んでも、ゾロにはこれが何の材料で出来ているかなどは解らないが、「旨い何か」である事には間違いない。

 

「お前、それ好きなの?それとも嫌いで飲み込めねェの?」

「あ!?……あー」

 

 あまりにも長い事もぐもぐと噛んでいた所為か、サンジが特に感慨もなさげに尋ねて来る。コックとしてはクルーの好き嫌いを把握しておきたいのだろうが、ゾロが口に含んでいる「それ」はゾロにとっては好ましい味のものだ。単に葉っぱかどうか咀嚼で確かめていただけなので、嫌いというわけではない。疑われても面倒なので、早々に嚥下して首を横に振った。

 

「いや、うめェよ」

 

 いつも通りだ。そんなつもりで何気なく言ったが、サンジはそれに返事をしなかった。何か失敗したかと食事に向けていた視線を持ち上げて何気なくサンジの顔を見ると、驚いたように普段から大きな目をまん丸にしていた。何だ、と言い掛けたが、その表情から何故か目を離せない。そして、サンジの目がきゅと細まった。同時に、ゾロの心臓もなんだか「きゅうっ」と音を立てたような気がした。

 

「そっか。おかわり、あるからな」

「……おう。くれ」

「馬鹿野郎、自分でよそえ!」

 

 ったく、などと言いながらも楽しげにニコニコ笑っているサンジの顔から目が離せない。その頭と尻に、耳と尻尾がぴこぴこ動いているのが見えた気がした。

 

(うおっ、あぶねェ!)

 

 コイツはまた自分をかどわかそうとしているらしい。血圧がぐんと上がったような気がするのもそのせいだ。一体どのような妖力なのかわからないが、心臓に悪いのは確かだった。自分が食べていたのは根菜か何かのきんぴらだったらしい。再度口に入れてもやはり葉っぱではなく、旨いオカズだった。

 

(だが騙されねェぞおれァ!)

 

 

 

 朝が遅かったので、おやつを兼ねた軽めの昼食。船尾で船べりに寄りかかって居眠りをしていたゾロの元に、かつんかつんと革靴の規則正しい音が聞こえてくる。蹴り起こされるのはごめんなので足が振り下ろされたタイミングを狙って足を掴んでやろうと思った。そうすればびっくりしてあの耳と尻尾がぴょこんと出てくるかもしれない。そういう作戦だ。

 

 だが、サンジの足ならやすやすとゾロの脳天を叩き割る事ができるだろう距離まで足音が接近してきても、そのチャンスはやってこなかった。それどころか、狸寝入りを決め込んでいるゾロの前でしゃがみ込んでなにやら顔を見ている様子。何の術をかけようとしてやがる、とゾロは薄目を開けてやりたかったが、狸寝入りがばれるのは不味い。寝息を立てて聞かせながら慎重に気配を探る。

 

「……へへ……」

 

(何笑ってやがる)

 

 なにやら、柔らかい空気。なんだか爆発的に目を開けたいような気分になって、実際まぶたがピクリと動いたが、ゾロは何とか自分を押し留めた。しばらく妙な間が流れる。いっそ何かしろ、もしくは何か言え。ゾロが痺れを切らす前に、サンジがようやっと口を開いた。

 

「旨かったか、アレ」

 

 サンジが何を言っているのかすぐにわかった。朝食べた何かに対して「旨い」と言った事を、サンジは言っているのだ。気配と雰囲気が、朝のあの笑った顔を見た時と一緒だった。心臓がドクンとまた大きく脈打つ。妖術か何かで心臓が鷲掴みにされている。あの節ばった指先で胸の筋肉を掻き分けて心臓を掴んで、握りつぶさない絶妙の力加減で揉み解されている。おかげで血液のポンプは激しく血を巡らせていて、身体中が熱い。

 

 サンジの飯はいつだって旨いのだ。言わなくたって解っている筈なのに、自分だって「クソうめぇだろ」なんて自信たっぷりのくせに、ゾロが一言漏らしただけでお前は何でそんな風に嬉しそうに笑うのかと。ゾロはもう目を開けてしまおうかと睫を震わせた。

 

「オルァ!!」

「ぐおぇっ!!!な……な……何しやがる、クソコック!!」

「……昼飯だ。起きろ」

 

 結局目を開けるかどうか迷っている間に腹をしこたま蹴られて、ゾロは反射的に目を開けた。ゾロを見下ろす目はやっぱり不遜で、笑顔のかけらもなくて、ただ、目元がなんだか綻んでいる様にも見えて。そして、昼飯はやっぱり旨かった。「コレはお前の」と出された野菜で作ったプディングとやらは適度に甘くて旨い。食べたりなくて他の連中用の分もサンジが席を外したときに一口スプーンですくって口にしたら、甘さがさっきまで食べていたものより強くて、ブランデーが弱かった。

 

 

(最初に出されたアレは、おれの。おれの為の。おれだけの為の)

 

 

 妖術で捕まれたままの胸が痛い。

 

 

 

 

 

 結局サンジの尻尾を掴むどころか益々心臓に爪を抉りこまされて、ゾロは両手で顔を覆った。しかし、ゾロの心臓を抉るだけ抉ってもサンジはそれ以上の事をしようとはしてこない。一体目的はなんなのだ、このままでは埒が明かぬ。ゾロはキッチンへと入り、飯はまだだぞ、とダイニングテーブルに座ってなにやら書き物をしていたサンジの正面を陣取って椅子に腰掛けた。面倒そうな表情を浮かべているが知ったことではない。

 

 剣での駆け引きはいくらでも望むところだが、口でのやりとりはこの男には勝てる気がしない。普段なら五分五分だが、何しろ相手の爪はゾロの心臓に食い込んでいるのだ。下手をすれば命取り。であれば、駆け引きは無用だ。化けの皮をはがしてやる。ゾロは挑むようにサンジの顔を睨みつけた。

 

「お前は、狐なんだろ」

 

 ズバリとストレートに問うたゾロに、サンジは最初何を言っているのかさっぱり解りません、とコロコロ変わると日ごろから思っていたあの豊かな表情だけで見事に表現してみせた。だがゾロは引かない。しらばっくれさせはしない、とまっすぐ目線を逸らさずにいると、サンジの表情が困惑から理解を示したものへと変化していく。

 

「あぁ……なんだ。知ってたのか」

 

 サンジは銜えて火をつけていなかった煙草に火をつけ、ふうっと息を吐き出した。それを動揺を隠す為と見るか、果たして。あまりにもこの動作を日常的に見ているので、サンジがゾロの一言で何か感情を揺さぶられたのかどうかはわからなかった。少なくとも表情は特に変わっていない。

 

「いつからだ?」

「この間。……朝。おれが見張りの日、だ」

「あァ、あの日の朝か。そりゃ油断してたなー。てめェは寝こけてると思ってたしよ、まさか見られてたとは」

 

 半分当たっている。寝こけていた自分の体勢が、目蓋越しに朝日に眼球を焼かれる角度でなければおそらくもうしばらく見張り台で寝こけていたままだっただろう。だが、あの日、確かに耳と尻尾がついていた事をサンジのこの言い草は認めている。

 

 案外軽いな。ゾロの感想はそれだったが、自分をかどわかそうとしている件についても問い詰めなければならない。そう思って口を開きかけたとき、サンジの薄い唇がニヤァッと持ち上がった。犬歯がやけに鋭く見えるのは気のせいだろうか。

 

「見られたからには、てめェももう逃げらんねェぞ?」

 

 ……来た!

 

 ゾロは立ち上がって間合いを取ろうと思ったが、サンジの目を見ると金縛りに合ったように動けなかった。口を開けたまま、サンジが次に何をしようとしているのか、見届けようとしてしまっている。

 

 ゾロを食い殺す気か、もしくは、精力を食うか。まさか殺すつもりではないだろう。殺すつもりならチャンスはいくらでもあった。そうだ、サンジを見ているとそんな気分になるのは、サンジがそういうピンクっぽい妖怪だからに違いない。そうだよな、だってこいつエロコックだもんな、などと心の何処かで期待をしながら荒い息を隠そうともせず立ち上がったサンジを睨みつける。

 

「いいか、ゾロ。お前は虎だ」

 

 ―――何かの暗示か?

 

 そういわれるとなんだか本当にそんな気がしてくる。妖術だ。おれは虎なのか。唾を飲み込んだときに動いた分厚い舌が、上あごに擦れた。なんだか猫の舌のようにざらついている気さえする。虎は肉食だ。捕食者だ。狐も喰らう。ゆらゆらと揺れるタバコを弾き飛ばして、柔らかいところを食いつくしたい。舌は苦いだろうが、血は甘いだろうか。涙は。それを確かめようと、伸ばした手に。

 

 

 かぽっ。

 

 

「あ?」

「これ、にくきゅう手袋な。で、これが虎耳カチューシャ」

 

 

 かぽっ。手に何かもこもこするものを嵌められたと思ったら、今度は頭に何か食い込む何かを取り付けられた。せっかく虎になりかけていたゾロは一瞬でゾロに戻った。

 

「あァ?」

「尻尾はこれ。安全ピンでつけるやつだからウエストにつければそれっぽく見えるだろ」

「それ、っぽく」

「ハロウィンの仮装だよ、ハロウィン!派手な仮装は出来ねェけど、これくらいなら楽しんでもいいだろ」

「……仮装」

 

 自分で吐いた言葉が自分の脳に浸透するまで酷く時間がかかった。仮装。それはつまり、尻尾や耳は、今自分がつけさせられているものと一緒で、おもちゃということで、つまり。

 

「レディと他の連中は自分で衣装見繕うって言ってたけど、てめェは無頓着野郎だからおれが用意してやってたんだぞ、感謝しろ?……んでも、てめェもやっぱハロウィンに興味あったんだな!かぼちゃのきんぴらもうまそうに食ってたし」

 

―――なんつー人騒がせだ!!

 

 サンジはどこからか取り出した狐耳と尻尾をつけて、ほらほら、とアホみたいに笑っている。ふわふわと動くそれはサンジの動きに合わせて動いているだけで、骨が入っているとか、感情にあわせて動くとか、そういうことが一切なく。本当に作り物だった。毛並みも作りもので、ふこふこの耳よりもサンジの金髪のほうがよっぽど上質な毛並みだった。

 

 つまり、ここで腰を揺らして尻尾をパタパタさせてへらへら笑っているのは、ただの眉巻いた男で、妖力とか妖術とかそんなのは一切無しで、かどわかしも気のせいで。

 

「ハロウィンパーティーは今夜だから、もーちょっとだけ皆にはナイショな」

 

 人差し指を唇に当てて子供にそうするように「ナイショ」のジェスチャーをする男を見ていると血が沸くような気になるのも、体の中心に熱が集まってくるのも、全部。

 

「う」

「う?」

「うがああああああっ!!!!」

 

 

 ゾロはキッチンから飛び出して海に身を投げた。冷たい水面に身体を叩きつけて何度も頭と股間を冷やそうと試みたが、ダメだった。もうダメだった。嬉しそうに笑った顔とか、ゾロのためだけに作られたおやつだとか、そういうのが頭から離れてくれない。妖術でもなんでもなかったそれをたった今理解したゾロにとってはあまりにも衝撃的すぎて、身体は言う事を聞かなかった。サンジの一言で本当に虎に、ケモノにされたような気分だった。

 

 誤解をしていた事を伝えるか否か腹も括れぬままに船に戻ったゾロは、にっこりと笑みを浮かべるサンジを見て収まりかけた熱がぶり返しつつあるのを感じたが、よく見れば額には交差点が浮かんでいるのに気付いて、さっと血の気が引いた。

 

「お前が寒中水泳大好きなのは解ったけどよ、虎耳カチューシャ無くしてるぞ。もう一回入って探して来い、アホマリモ」

 

 どん、と耳と尻尾をつけたサンジの渾身の蹴りを食らって身体に強い衝撃を受けもう一度海に落ちたゾロは、虎耳カチューシャを探しながらサンジにかけられかけた暗示を自分にかけようと頭の中で繰り返した。

 

―――おれは虎だ。剣虎だ。獰猛な虎だ。あのクソ狐を食い散らかす猛獣だ。

 

 さて、ハロウィンは今夜。覚醒したサーベルタイガーによるフォックスハントがうまく行くかどうかは、サンジがかぼちゃの中身をくり貫いて作ったジャック・オ・ランタンが見届ける事だろう。

 

リリース日:2010/10/14

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